しかし、杞の国の人は理由もなく天の落ちることを心配していたのでしょうか。 実はこの心配には古代中国の宇宙観が反映しています。 紀元前10世紀、エジプトやインドでいろいろな神話が作られていたころ、 中国では神話を離れた宇宙観が芽生えていました。 最初の宇宙観は天の形から蓋天説(がいてんせつ)と呼ばれています。 この説によると大地は中央の盛り上がった方形の広がりをもち、 天はちょうど洋傘を広げたような半球の形で地の上に覆いかぶさっていました。 天の中心は北極の真上にあり、人は地の中央から離れた斜面に住んでいました。
天と地の間には天を支える柱がない!!杞の人はそう思って真剣に天の落下を心配しました。
それでは天はいつか地上に落ちてくるのではないか。
その後、紀元前3世紀頃に渾天説(こんてんせつ)が唱えられ、 天は球形に地球を取り囲むことになって落下の危険はなくなりました。 この説では球形の天に星座や日月惑星が配置されますので、
星々の動きは天球上の座標によってくわしく測定されるようになりました。 その装置が美星天文台にも実物模型の置かれている渾天儀です。
しかし、どちらにしても、古代中国の人にとって天は地をおおい、 または地をとりまいて、人間の運命を支配する根元的な存在です。 天子は天の命を受けてはじめて人々の上に立つことができます。 北京の天壇公園には祈年殿と呼ばれる天子が天に祈りを捧げる拝殿があります。 3層の円い屋根を持つ建物に入ると高さ38mのまるい天井に 無数の天竜が極彩色で彫られていて人々に畏敬の念を起こさせますが、 床と天井の関係は蓋天説の天地を思い出させます。 ただし、この拝殿にはちゃんと4本の柱が立っていて、一年の四季を表すのだそうです。