銀河のほとりに (39)

小暮智一 (こぐれともかず・美星天文台長)


ドイツ科学史の旅 (その2:ワイルデアシュタット)

美星スターウオッチングクラブ会報「星見だより」1997年1月号

ハイデルベルクからIC特急に乗ってシュトゥットガルトに移った私たちは,翌日,郊外電車でワイルデアシュタットの町に出かけました. シュトゥットガルトの中央駅から30分あまりの小さな終点の町で,駅前はバス停と商店が1軒あるだけでひっそりとしています. 1571年12月にヨハネス・ケプラーはこの町で生まれ,少年時代をおくりました.

[JPEG 13KB] ケプラーの銅像

駅から5分ほど歩くと町の中心のマルクト広場にでます. 新旧町役場が広場に面し,広場の中央にはケプラーの銅像が建っています. 天球儀を抱え,コンパスを持って空を望むケプラーの姿は偉大な天文学者としての誇りが表現されています. 広場から裏手の教会にむかう一隅にケプラーの生家があり,今は記念館となってケプラー関係の資料を展示しています.

[JPEG 17KB] ケプラーの生家.今は記念館.

小さな二階家で入り口は正午から2時まで閉館という札がかかっていました. ちょうど正午になったところでしたのでおそるおそるドアを開けて中に入りましたが,案内の老人は快く迎えてくれ,内部を丹念に見てまわることができました. 2階の数室が主な展示室になっており,広場に面した部屋にはケプラーの宇宙体系を示すパネル,宇宙の調和をあらわす多面体の合成模型,ケプラーやガリレイの著作の原本などが展示され,奥まった一室には壁いっぱいのパネルで,家族や少年時代の生活,友人や先生たちの交流の記録などがはりだしてあります.

[JPEG 13KB] 宇宙体系の模型

ケプラーには母親が魔女の疑いを受けて数年にわたる裁判となり,一時期,監獄に入れられていたという話があります. ケプラーは最後には裁判に勝ち,無実となりましたが,母親はそれがもとで間もなく亡くなりました. 展示のパネルにもその経過を示した文書があったようですが,そのときは気がつきませんでした. 17世紀のはじめ頃はまだ魔女狩りが盛んで,ワイルデアシュタットの町でもそのころ何人かの女性が魔女として火あぶりにされたという記録があるようです. 町役場の裏手の広場には群像で飾られた噴水の泉がありますが,なぜか農夫や笛を吹く子供たちの像に混じってほうきにまたがった魔女も飾ってありました.


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Kazuya Ayani, Bisei Astronomical Observatory / ayani@bao.go.jp