銀河のほとりに (40)

小暮智一 (こぐれともかず・美星天文台長)


ドイツ科学史の旅 (その3:チュービンゲン)

美星スターウオッチングクラブ会報「星見だより」1997年2月号

チュービンゲンはハイデルベルグからネッカー河をさかのぼった上流にあり,ハイデルベルグと同じようにドイツの古い大学町です. ネッカーの清流は水をたたえながら町なかを流れ,チュービンゲン大学の創設ははるか1477年にさかのぼります.

シュトゥットガルトから普通列車で1時間,チュービンゲンの駅は緑深い河畔公園の一隅にありました. ネッカーをまたぐ橋の上からは中世風の家々の間に詩人ヘルダーリンが晩年を送ったという小さい尖塔の家も見えます. 対岸は小高い丘の街となり,昔ながらの古い町並みを人々が賑やかに行き来しています.

この町はヨハネス・ケプラーが大学生活を送ったところで,丘の上にアルテ・アウラ(旧大学校舎)が昔の姿で建っています. この校舎は1547年に建てられたもので入り口には由来を記したパネルが埋め込まれています.

[JPEG 27KB] アルテ・アウラ

[JPEG 13KB] チュービンゲン大学旧校舎のパネル

ケプラーはここで天文学の師メストリンに出会いました. 16世紀末のヨーロッパはまだ中世の面影が濃く,メストリンは大学ではプトレマイオスの天動説を教えていました. しかし,当時,コペルニクスの地動説は知られており,その正しさに惹かれたメストリンはケプラーには個人的に地動説を教えました. ケプラーはその後,地動説の立場で惑星の観測資料を解析し,ケプラーの法則と呼ばれる惑星運動の規則性を導きましたが,そのきっかけはチュービンゲン大学時代のメストリンの薫陶によると言われています. 大学の脇には1470年に建てられたという古いザンクト・ゲオルグ教会堂の尖塔がそびえ,メストリンはその屋根裏から星の観測をしていたとか. そこで私たちも教会を訪ね,美しいマリア像に一灯を献じました.

アルテ・アウラからだらだら坂を上り詰めると,丘の上にホーエン・チュービンゲン城が建っています. 城門付近から町並みとネッカー河の輝きが広く展望されます. 城の主要部はいまは考古学や実験心理学などのチュービンゲン大学の研究施設になっています. 城からマルクト広場に出た私たちはヘルマン・ヘッセが青年時代に働いていたという古い書店に立ち寄り,店の主人に問われて日本のことを少し話たりしてから再びチュービンゲンの駅に戻ったのでした.


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Kazuya Ayani, Bisei Astronomical Observatory / ayani@bao.go.jp