学生時代から天文学に興味を持ち,同郷の先輩であるケプラーに深い敬愛の念を持っていたヘーゲルは,イエナ大学に就職するとき(1801),惑星軌道論,正しくは「惑星の軌道に関する哲学的論考」という就任論文を書きました.ケプラーからニュートンへかけての惑星運動論を哲学的に批判するという内容ですが,論文の中心はニュートンの批判にありました.惑星の運動法則の真の発見者はケプラーであり,ニュートンはただ数学的に法則を導いたに過ぎないと批判します.自然界の背後にある法則は事物に即した "物理的" なもので,事物を離れた "数学的" 法則は単なる頭の遊技に過ぎないとまで言っています.これは必ずしも的を得た批判ではなかったのですが,やはり,頭の中に先輩のケプラーへの思いがこもっていたのでしょう.
イエナ大学に移ってからは哲学本来の道に入り,精神現象論,論理学,歴史哲学,法哲学などの著作を次々に著し,ドイツ最大の哲学者に数えられるようになりました.しかし,天文学への思いは頭のどこかにあったのでしょう.遺著の中に「自然哲学」の1巻があり,その中では再び,惑星軌道論とニュートンへの批判をくり広げています.
ヘーゲルハウス
シュトゥットガルトではヘーゲルの生家をたずねてエーベルハルト通りを歩き回り,通りのはずれにようやくそれを見つけました.瀟洒な3階建で,ヘーゲルハウスという表示とヘーゲルの横顔のレリーフが飾ってありましたが,訪れたときはすでに夕方で内部の見学はできませんでした.
ヘーゲルのレリーフ