暦の伝来

日本書紀によれば,欽明天皇14年(533),百済に暦博士,暦本を送ること依頼した.翌年百済は暦博士固徳王保孫を来朝させた.これが,日本に暦が伝来した最初と思われる.

更に,日本書紀よれば,推古天皇10年(602)に百済の僧,観勒が日本に来て,日本人が暦を学んだ.675年には占星台が造られた.そして,日本書紀によると,持統天皇4年(690)には「勅を奉はりて始めて元嘉暦と儀鳳暦とを行ふ」とあり,暦日が使用され始めた.この両暦を同時に併用するという解釈については江戸時代から様々な解釈がある.一般には持統天皇6年から11年(=文武元年)までは両暦の併用,文武天皇2年(698)から儀鳳暦が用いられたと思われる.これらは月を基準とし,1年を12-13ケ月とする太陰太陽暦である.新月から新月までは平均すると29.5日,毎月1日は新月である必要があるので,暦の計算ではその月が29日か30日かにより,小の月か大の月かを明示する必要がある.採用した暦により,月の大小が異なる.また,天文の事象と合わなければならない.これが,どの暦を使用したかを知る手がかりにもなるし,改暦の必要性でもある.

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参考文献

内田正男,1982「天文学史 日本の暦法」p211,恒星社
渡辺敏夫,1986「近世日本天文学史(上)」p8-11,恒星社