701年に大宝律令が制定されると,中務省の管轄下に陰陽寮が置かれ,その陰陽頭の下に暦博士があり,造暦及び暦生を教授することになった.留学生として唐から大衍暦を持ち帰った吉備真備は752年に加茂朝臣姓を賜り,以後,加茂家は陰陽寮の役人として使えた.真備の7世の孫加茂保憲の時,天文道を弟子の安部晴明に,暦道を子に伝えたので,陰陽頭,陰陽博士は両家の世襲となった.加茂家は不祥事があり,以後幸徳井家として,安部家と共に幕末まで続いた.
内田正男,1982「天文学史 日本の暦法」p211,恒星社 渡辺敏夫,1986「近世日本天文学史(上)」p11,恒星社