観測に熱心だった高橋至時・間重富

寛政7年(1795),幕府天文方の高橋至時,大阪天文方御用の間重富は所用の帰りに木星が月に隠されようとしているのを見た.この時の時刻を正確に記録したいが,観測用具は手元にはない.彼らは振子を造ることを思いつき,懐中紙でこよりをより,その先端に穴あき青銅銭をぶらさげた.木星が月に潜入したのを確認し,間重富が振子を振り始め,そばで高橋至時がその振れ数を声をあげて数え始めた.浅草の司天台につくまで,30-40分間,その作業を行った.道行く人々はその光景を見て,驚いたり,笑ったと伝えられている.しかし,そのおかげで,司天台の垂揺球儀との同期がとれ,潜入の時刻がわかり,その後の観測で出現時刻も観測できた.

これは間重富の長男,重新が父の観測帖から後年みつけたもので,重新は感銘し,涙したと書かれている.

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参考文献

斉藤国治,飛鳥時代の天文学,1982,p.105-108,河出書房新社