日食供養塔

日食供養塔は,もともとは東京都奥多摩字大原の恵日山門覚寺の前にあり,ダム建設のために水没するところを,出野バス停付近に移動,さらに奥多摩郷土資料館の前に移転したものである.

奥多摩には,「日食は村に疫病のはやるのをお天道さまが代わりに病んでくださったものだ」という伝承が伝えられている.村人の代わりに病気になった太陽を供養してつくられたのが日食供養塔である.

日食供養塔には,寛政十一(1799)年とあるが,その年には東京付近から見られる日食は起こっていないので,その前に起こった日食を供養した可能性がある.

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参考文献

北尾浩一,1998,ホームページより