伊能忠敬は1795年に高橋至時に弟子入りし,暦学,測量学を極め,緯度一度の距離を測ることを目的として,1800年蝦夷地の測量の第一歩を記した.忠敬56才であった.その年,地図を作成し,幕府に上程している.その後,1816年までに全国の測量を行い,日本地図を作成途中1818年に死去した.地図は1821年に「大日本沿海実測全図」として幕府に上程した.
渡辺敏夫,1986「近世日本天文学史(上)」p391-405,恒星社