■ 人名辞典【た】 ページ 

ダイソン Dyson, Sir Frank Watson (1868−1938)

イギリスの天文学者.ケンブリッジ大学で数学を専攻,1889年から重力の研究を行う.1894年グリニジ天文台主任助手,翌年からスコットランドの王室天文官として派遣され,1910年グリニジに戻ってイギリス王室天文官兼第11代同天文台長(1933年まで).1894年以降恒星の写真位置測定法の改良にあたる.約100年前の恒星位置との比較測定を行い固有運動を決定.皆既日食の観測を通じ1200本の吸収線の波長を測定し,また太陽近傍の恒星の観測から重力の場における光の屈折を証明.測地学的観測の精度向上,測時の改良にも貢献.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ダーウィン Darwin, Sir George Howard (1845−1912)

「種の起源」のチャールズ・ダーウィンの次男で数理天文学者.1868年ケンブリッジ大学卒業,特別研究員となり1883年同大学天文学教授.潮汐論,天体形状論,三体問題の周期軌道計算などに業績を残す.月の起源と力学的進化の理論を展開.月が潮汐摩擦により永年的に地球から遠ざかるという理論を構築し,それを逆に援用してもともと月は地球の一部であり,ちぎれたと考えた.1892年王立天文学会金牌を受賞.さらに1899年王立天文学会会長.1905年バース勲爵士.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アシモフ「科学技術人名事典」共立出版


ダウニング Downing, Arthur Matthew Weld (1850−1917)

イギリスの天文学者.イギリス天文学会の創立者.アイルランド・ダブリンのトリニティー・カレッジで数学を専攻.修士課程在学中,1873年にグリニジ天文台助手.1875年王立天文学会会員.位置天文学と観測の系統誤差について多くの論文を残す.1892年編暦局長に就任.1890年イギリス天文学会の設立委員.1892年から1894年同会第2代会長.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


高橋至時 Takahashi, Yoshitoki (1764-1804)

江戸時代後期の天文暦学者.1787年に麻田剛立の門に入って天文暦学を学んだ.麻田,間とともに当時としては最新の「暦象考成後編」を研究し,暦学を極めた.1795年,幕府の要請により,出府,天文方に任命された.1796年から吉田秀升,山路徳風とともに京都に滞在し,寛政の改暦案を完成させた.改暦後も暦学の研鑽に努め,伊能忠敬の全国測量を指導した.フランス人ラランデのオランダ訳本の「ラランデ暦書」で西洋天文学を目の当たりにして,その訳に全力を傾け,自らの命を縮めることとなった.

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タッキーニ Tacchini, Pietro (1838−1905)

イタリアの天文学者,気象学者.モデナの工業学校を卒業後,パドヴァ天文台を経て1859年にモデナ天文台の台長代理,1863年パレルモ天文台助手.太陽面の分光観測と研究を開始.特に地球気象と太陽現象の関連を重視,「太陽気象学」と名付けて研究.イタリア分光観測者協会を発足させる.1874年の金星太陽面通過を観測,そのほか数回の皆既日食観測に参加.1879年ロマーノ大学天文台長および中央気象台長.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ターナー Turner, Herbert Hall (1861−1930)

イギリスの天文学者,地震学者.ケンブリッジ大学卒業後,1884〜93年グリニジ天文台主席助手.1893年オックスフォード大学天文学教授,終身同職を務める.数度の皆既日食に参加,国際的計画の組織者として能力を発揮.1887年に写真星図計画でも調整者として貢献.1913年以降地震学に力を発揮.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ダフィールド Duffield, W.G. (1860−1929)

オーストラリアの天文学者.アデレード大学を卒業,イギリスに渡りマンチェスター大学に学び1908年理学博士.キャンベラの太陽観測所建設に尽力し,所長.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ダランベール D'Alembert, Jean le Rond (1717−1783)

フランスの数学者,哲学者.神学・医学・法学を学び弁護士となるが,のち哲学・数学・力学を研究.1743年動力学を静力学に変換する“ダランベールの原理”を提唱する.波動方程式,月の運動における三体問題,歳差運動の研究があり,この面で天体力学に貢献.1751年から「百科全書」を共編,発行する.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


タルコット Talcott, Andrew (1797−1883)

アメリカの軍人,機械技師.ホレボーの地理緯度の決定法が埋もれていたのを見いだし,さらに改良を加えて天文緯度の決定法(ホレボー・タルコット法)を樹立.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


タルド Tarde, Jean (1561(2)−1636)

フランスの聖職者.カオール大学で法律の学位を得,ソルボンヌ大学で研究を続ける.1594年管区の測量を担当.1614年ガリレイに会い,2冊の本をまとめたが,その中で“最近発見された太陽黒点”についての議論を行う.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ダレット Dallet, Henrich Ludwig (1822−1875)

ドイツの天文学者.ベルリン天文台に勤務したが,1845年フランスのルヴェリエの計算に基づいてガレとともに天王星外の惑星の捜索を行いこれを発見する.1857年デンマークのコペンハーゲン天文台に移る.小惑星と彗星の研究を行い,他に,星雲星団の目録を発表.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


タレス Thales (BC625頃−BC547頃) 

イオニアの自然哲学の創設者とされている.エジプトに旅し,エジプトの数学をギリシャに広める.自然哲学では自然現象を合理的な記述で説明した.演繹的数学を開発してユークリッドの幾何学に影響を与え,ギリシャ哲学の基礎を作った.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ダンカン Duncan, John Charles (1882−1967)

アメリカの天文学者.1905年インディアナ大学卒業.翌年同大大学院修士課程を終え,フラグスタフのローウェル天文台員.1909年カリフォルニア大学からセファイド型変光星の研究によって博士号を得る.1909〜16年ハーヴァード大学の天文学講師となり,さらにウェルズリー大学の天文学教授兼同大学天文台長に就任,1960年退任ののちアリゾナ大学客員教授兼スチュワート天文台客員観測員.“かに星雲”(M1)の膨脹に関する研究を行う.また彗星,分光連星,新星などの研究でも知られる.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ダンジョン Danjon, Andre (1890−1967)

フランスの指導的天文学者.エコール・ノルマル卒業ののち第一次大戦で負傷し右眼を失明.戦後ストラスブール天文台に招かれ,1930年同天文台長.1937年オート・プロヴァンス天文台が開設されると自ら観測の中心的役割を担う.1933年ストラスブール天体物理学研究所の建設を推進,また,1945年パリ天文台長に任命され,支所としてムードン天文台を開設.1955年から1958年まで国際天文学連合会長,1958年イギリス王立天文学会の金メダルを受ける.観測器械の改良に努め,特に天体の精密な位置観測に用いるダンジョン式アストロラーベは有名.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


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