日本の星図の歴史

江戸時代までに日本で使用されていた星図は中国星座である.

渋川春海によると,中国星座は3種類に分けられる.二十八宿や北斗等の明るい星を含む魏の石申が制定した138座810星,斉の甘徳が制定したやや明るい星を含む18座511星,巫咸が制定した暗い星を含む44座144星がある.ただ,これらは本当に石申,甘徳,巫咸が制定したかどうかは不明であるし,その星座も時代によって少し変遷がある.渋川春海は,朝鮮の天象列次分野之図(1395)を参考に「天象列次之図」(1670),さらに「天文分野之図」(1677)という星図を著した.さらに星の位置を測定し,それを「天文瓊統」に示すとともに,子の昔伊と共に「天文成象」(1699)で図に表した.その折,中国星座以外の星に対し,太宰府など,日本の官職名にあたる星座308星61座を追加した.この星図は日本人により初めて編集された星図である.

さらに,司馬江漢は天球図で,銅版で中国星座の上に西洋の星座絵を描いた図を1797年に刊行している.ここにも春海の星座が一部見られる.

麻田剛立らが精密な観測を行うようになると,旧来の星図では役にたたなくなり,中国の「儀象考成」記載の恒星表を歳差を計算しながら,観測に使用するようになった.石坂常堅は天文方の手伝いを行い,1818年に「分度星図」を発行,さらに測量を重ねて1826年「方円星図」を刊行した.これは初めての精密な星図である.なお,星図は占いの対象としても使用された.

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参考文献

渡辺敏夫,1986「近世日本天文学史(上)」p.370,恒星社
渡辺敏夫,1987「近世日本天文学史(下)」p.737-846,恒星社