■ 人名辞典【し】 | ページ 1 - 2 - 3 - 4 - 5 |
□ シー See, Thomanss Jefferson Jackson (1866〜1962)
アメリカの天文学者.1889年ミズーリ大学を卒業後,ヤーキス天文台,ローウェル天文台,海軍天文台を経て1903年から1930年に引退するまでカリフォルニアのメア・アイランド天文台の台長をつとめた.二重星の観測,恒星進化,地球と太陽系の進化,宇宙進化,重力と磁気の研究で知られる. 参考文献
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□ シアーズ Seares, Frederick Hanley (1873〜1964)
アメリカの天文学者.1895年カリフォルニア大学卒業後,べルリン大学とソルボンヌ大学に留学し,ミズーリ大学天文学,ローウズ天文台長を経て1909年にウイルソン山天文台に移った.計算部長としてであったが,できたての152cm望遠鏡を使い,カプタインの選択区域の写真を撮り,1930年に139個の選択区域帯にある67941星の目録を刊行した.IAUは1932年に彼の研究を基礎とした国際光度基準を制定した.1941年に北極から10°以内にある2271個の恒星のデータを含む目録を出版.遠距離星からの光の赤化,星間物質による減光の調査も行なった. 参考文献
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□ シェーカリー Shakerley, Jeremy (1626〜1655)
イギリスのアマチュア天文学者.ケプラーやブイユの書に触れて天文知識を深め, 1651年の暦の付録に,10月24日の水星の太陽面通過を予報し,投影法をすすめている.また,ホロックスらアマチュア天文学者の研究を評価し,紹介している. 参考文献
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□ シェゾー Cheseaux, Jean-Phillipe Loys de (1718〜1751)
スイスの天文学者.祖父は有名な数学者・哲学者のクルーザである.10代の頃から城館に天文台を設けて観測を行い,カッシニに認められる.1743年「物理学論考」を出版し.同年の6つの尾をもつ彗星を観測して,翌年「彗星誌」を出版.そのなかで,この彗星の周期と軌道をすぐれた方法で決定し,また初めて彗星の予測軌道を星図に書き込んだ.同書のなかで宇宙の無限がもたらすパラドクスを考察し,星間における光の吸収による解決を提起したことで知られる. 参考文献
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□ シェーナー ![]()
ドイツの天文学者.1494年にエアフルト大学で神学を学ぶ.自宅に印刷室を設け,天文書を発行した他,地球儀も作った.1526年から,ニュールンベルグに開設されたメランヒトン学校で数学を教えた.15世紀最大の天文学者レギオモンタヌスの未出版の研究を出版した.ただ彼は占星術の擁護者であり,それに対する排撃とたたかった. 参考文献
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□ シェバーリ Schaeberle, John Martin (1853〜1924)
ドイツ生まれのアメリカの天文学者.機械工の見習いを経て12年間ミシガン大学天文台で働いた.1888年,リック天文台の最初のメンバーとして招かれ,各種の天文器機を考案した,写真観測を行なった. 1896年にプロキオンの伴星を発見している.1897年に台長をつとめ引退. 参考文献
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□ シェレルプ Schjellerup, Hans Carl Frederik Christian (1827〜1887)
デンマークの天文学者.時計師として修行中,H.エルステッドに認められ,後に1851年にコペンハーゲン天文台の主任天文学者となった.暗い恒星の位置観測を行い,1864年カタログを出版したが,それは1952年まで歳差定数の決定に使われた.晩年アラビア語,中国語などを習得し,ペルシャのアッ=スーフィーの天文書などをフランス語に訳して出版,古代中国の文献にある日食を考慮した. 参考文献
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□ シェーンフェルト ![]()
ドイツの天文学者.1849年にマールバハ大学,1852年にボン大学に入り,1853年ボンでアルゲランダーの助手となった.1859年にマンハイム天文台の台長,1875年にボン天文台の台長.ボン星表のための大量の観測を行い,その出版を担当した. 参考文献
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□ シサット Cysat, Johann Baptist (1586?〜1657)
スイスの天文学者.1604年イエズス会に入り,1611年からインゴルシュタットでシャイナーの弟子として黒点の観測を手伝う.1618〜19年の彗星の観測を行い,その成果を小冊子 Mathemata astronomica として出版した. 1631年の金星の太陽面通過を観測している. 参考文献
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□ シッカルト Schickard, Wilhelm (1592〜1635)
ドイツの天文学者.チュービンゲン大学で神学と東洋語を研究,1617年からケブラーと親交をたもち,1631年に同大天文学教授となった.最初の計算機を製作した.月の推算位置,1618年の彗星の観測,1631年の水星による太陽面通過現象などの報告がある. 参考文献
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□ 渋川春海 Shibukawa, Syunkai (1639-1715)
江戸時代初期の天文暦学者.日本の天文暦学の創始者にあたる.春海は幕府碁方,安井算哲の子として京都に生まれた.囲碁では「天元」戦法の創始者として知られる.幼名は六蔵,その後,助左衛門.山崎暗斎に朱子学・神道を学び,暦学は松田順承,岡野井玄貞に学んだ. 当時の暦法が現実に合っていなかったので,元の授時暦を学び,その採用を願いでた.しかし,授時暦は延宝3年の日食の予報に失敗した.春海は授時暦をさらに研究,同時に太陽の位置も測定し,その原因が,中国と日本に経度の差があるためであることをつきとめ,日本に合うように改良した暦の採用を願いでた.これが,貞享2年より施行されたので,貞享暦と名づけられた.これは日本人により初めて計算された暦である.これにより,春海は天文方となった.正徳5年77才で死去. 春海は過去の暦も計算し,紀元前667年から貞享元年までの全月朔干支を計算し,「日本長暦」に記述した. また,朝鮮の天象列次分野之図を参考に「天象列次之図」さらに「天文分野之図」という星図を著した.さらに星の位置を測定し,それを「天文けい統」に示すとともに,子の昔伊と共に「天文成象」で図に表した.その折,中国の石申,坐かん,甘徳が制定した星座にない星308星で日本独自の星座61座を制定した. 著書は,「貞享暦」「日本長暦」「日本書紀暦考」等多数.春海の製作した渾天儀は日光東照宮に,地球儀,天球儀は国立科学博物館,伊勢神宮徴古館等に残る. 参考文献
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