■ 人名辞典【し】 ページ  - - - -

渋川昔伊 Shibukawa, Sekii (1683-1715)

江戸時代初期の天文暦学者,渋川春海の子.幼名亀之助,図書と称した.正徳元年,父春海が隠居したので,代わって天文方に任命された.元禄12年,父春海が測定した星の位置を基に星図「天文成象」を刊行した.正徳5年,父より先に死去した.

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参考文献

渡辺敏夫,1986,近世日本天文学史上,p45-90,恒星社


シャイナー Scheiner, Christoph (1575〜1650)

ドイツのイエズス会士.1600年インゴルシュタット大学で哲学,数学を学び後教授となった.1603〜05年に縮図器を考案,1611年から自作の望遠鏡で観測をはじめ,3月に太陽黒点を発見した.本名での発表を許可されなかったが,友人がその発見を印刷物にして,ガリレイケプラーなどに配付した.日時計の理論を発表したり,地平線近くの太陽が楕円形に見えるのは大気差が原因であると説明している.またガリレイは失敗したが,彼は太陽の自転軸の黄道面に対する傾斜角を7°30′と求めた.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


シャイナー Scheiner, Julius (1858〜1913)

ドイツの天文学者.ボン大学で学び,1887年にポツダム天体物理天文台に移り,1900年に主任観測者となった.ボン天文台ではゾーン観測を行なったが,ポツダムでは天体物理学的研究に転じた.

台長のH.フォーゲルと協力し,恒星の視線速度の正確な測定の新時代を開いた.国際写真星図の作成に精力を注ぎ,星図の方は1898〜1912年に6巻の大冊として出版した.彼は星雲のスペクトル線の相対強度の決定,明るいガス星雲の眼視による視線速度の決定,100個以上の恒星の温度の測定でも成果をあげている.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


シャイン Shayn, Grigory Abramovich (1892〜1956)

ソ連の天体物理学者. 連星や恒星の分光研究で知られる.1912年ドルパト大学に入学,修士号を取得し,トムスク大学助手を経て,1921年からプルコヴォ天文台に勤務.1925年同天文台シメイズ観測所に移り,102cm反射望遠鏡を用いて分光観測に従事した. 1945年クリミア天体物理観測所の所長となった.

また,銀河内のガス星雲が銀河面に平行に細長くのびていることを発見し,これを銀河磁場の存在によって説明した.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


シャッツマン Schatzman, Evry L. (1920〜  )

フランスの天体物理学者.

くに恒星分光学の分野で活躍している.晩期型星の質量のロスの理論をだし,フレア星が電波を放射する可能性を調査するよう呼びかけた.彼の考えは,1959年ペッカーとの共著「一般天文学」を出版.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ジャッコーニ Giacconi,Riccardo (1931‐  )

イタリア生まれのアメリカの天文学者.1954年にミラノ大学教授,2年後にアメリカに移住し,インディアナ大学をへて1958年,プリンストン大学で助手となる. 1962年ロッシらと共に,自ら予言したX線星を発見し,X線天文学の開拓者となる.1981年に宇宙望遠鏡科学研究所(STScI)の初代所長となり,1992年末まで勤める.1993年頭ヨーロッパ南天天文台(ESO)台長となる.

参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」


シャップ・ドートロシュ Chappe d' Auteroche, Jean-Baptiste (1728〜1769)

フランスの天文学者.カッシニに注目され,1750年代にハレーの天文表を公刊した.1761年と69年の金星の太陽面通過の観測において,シベリアと南カルフォルニアで観測を行った.日食,月食からの経度決定,星の子午線高度からの緯度決定にとりくんだ.日食,水星の子午線通過,木星の衛星の食の観測を行なう. 1759年パリ天文台のスタッフとなる.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房
「大百科事典」平凡社,他


イブン・アッ=シャーティル Ibn al-Shatir,‘Ala’al-din‘Ali ibn Ibrahim (1305頃〜1375頃)

14世紀最大のイスラム天文学者,カイロ,アレクサンドリアに学ぶ.ダマスクスのモスクの長で大日時計を設計製作.諸天文数の変換計算器としてのアストロラーベ,四分儀の理論,設計にあたる.最も有名なものは彼の惑星理論で,プトレマイオス天文学で離心円やエクアントを用いていたところを,2つ(水星の場合は3つ)の周転円で置きかえて,惑星の等速円軌道からのずれ(楕円運動的ふるまい)を説明した.数学的にはプトレマイオス・モデルと同じであるが,周転円のみを用いる点で美的にすぐれる.この周転円系は,地球中心系の大周転円を除いてそのままコペルニクスによって採用されたため,アッ=シャーティルのルネッサンス天文学への影響が推測される.森暁雄「コペルニクスとアッシャーティルの惑星理論」「科学史研究」58号.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ジャービル・イブン・アフラフ Jabir ibn Aflah, al-Ishbili, Abu Muhammad (12世紀前半)

スペインで活躍したアラビアの天文学者.ヨーロッパでは Geber という名で知られている.「アルマゲストの訂正」を著し,プトレマイオス天文学を厳しく批判した.クレモーナのゲラルドゥスによってラテン語に訳され,ヨーロッパでもかなりの影響力があった.特に三角法の発展で重要な役割を果たし,15世紀のレギオモンタヌスにもその影響が見られる.このほか,さまざまな天文器具の改良を行った.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


シャプレー Shapley, Harlow (1885〜1972)

アメリカの天文学者.ミズーリ大学卒業.プリンストン大学に入り,ローズ天文台の教育助手となり,1914年ウィルソン山天文台に移る.1921年にハーヴァード大学天文台の台長.ドレーパー・メダル,アメリカ文化科学アカデミーのラムフォード・メダル,王立天文学会のゴールド・メダル,教皇ピウス11世賞などを受賞.天体測光学,天体分光学,宇宙論の分野を大きく発展させ,また恒星,変光星,星団,銀河系の研究に業績をあげている.

1914年にセファイド型変光星の脈動説を主張したが,これはのちにA.エディントンによって理論的に解明された.彼は球状星団の中にあること座RR型変光星の距離を周期―光度関係によって求め,球状星団の分布状態から,銀河系の中心位置と構造を明らかにするとともに,太陽が銀河系の中心にないことを発見し,銀河系の中心からの距離を5万光年と算出した.この大きすぎる推定が,1920年の“大論争”と呼ばれるカーティスとの公開討論のきっかけとなった.彼は暗い星雲を銀河系の天体または近いものと主張し,カーティスは銀河系から遠くにはなれた恒星系であることを示唆したのであった.この後ハッブルとともに銀河の距離を測定し,1932年にシャプレー・エイムズカタログを発表した.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


シャーリエ Charlier, Carl Vilhelm Ludvig (1862〜1934)

スウェーデンの天文学者.

97〜1927年ルント大学教授.オルバースのパラドクスについての論文を1896年,1908年,1922年に発表し,宇宙の中に階層構造を持ち込むことによって解決する方向を提示した.

局所恒星系が長さ2000光年,厚さ700光年の丸いパン状であるという先駆的な業績をあげている.星の固有運動の系統的な値として年−0.0024秒という値を算出しており,オールトの銀河回転の先駆であった.また天体写真において光点の半径の測定によって,写真光度を決定する研究でも業績を残した.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


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