■ 人名辞典【え】 ページ 

エアリ Airy,George Biddell (1801‐1892)

イギリスの天文学者・地球物理学者.アルンウィックに生まれた.様々な分野に手をだしており,天王星の運動についての力学問題の他,レンズの色消し,非点収差や結晶に関する光学の研究,地殻についてアイソスタシー理論を提案した.

ケンブリッジのトリニティカレッジの数学クラスを首席で卒業.1824年,トリニティカレッジのフェローに選ばれ,数学の指導助教員となる.1828年天文学の教授とケンブリッジ天文台の台長に選ばれる.在任中に,アダムズから超天王星についての予報を提出されたがとりあわず,発見の栄誉をフランスのルベリエとドイツのガレにさらわれてしまう.1835年に王室天文官に指名される.王立協会からコプリ・メダルとロイヤル・メダルを受け,ゴールド・メダルを二度受賞し,さまざまな名誉学位を受けた.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


エイトケン Aitken,Robert Grant (1864‐1951)

アメリカの天文学者.二重星の体系的調査.5秒以内に隣接する二重星,4,400 以上を発見など.カルフォルニアのジャクソンに生まれた.ウィリアムズ・カレッジで学位を取得.1888〜91年,リヴァモア・カレッジで教え,1891年,パシフィック大学の数学教授となる.1895年以後は,ハミルトン山のリック天文台で,最初は天文学者助手として,1930年から退職するまでは天文台台長として働いた.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


エウドクソス Eudoxos (前408‐355)

天文学者,数学者.ギリシャのクニドス生まれ.天体の視運動を説明するため地球を中心とする同心天球説を考えた.エウドクソスの生涯についてはほとんど知られていないが,彼が1年以上エジプトに滞在したこと,ヘリオポリスの司祭の客人であったことが記録されている.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


エッゲン Eggen,Olin Jenck (1919‐  )

ウィスコンシンのオーフォードヴィルに生まれた.1945年,ウィスコンシン大学を卒業後,カルフォルニア大学で天文学者となり,1956年,グリニッジ王立天文台の主任助手となる.1960〜63年,カルフォルニア工科大学の天文学教授となり,1965年,パロマ山天文台の天文学者となる.1966年,ストロムロ山天文台サイディング・スプリング天文台の台長ならびにオーストラリア国立大学の高等研究所の天文学教授となるために渡る.1977年までストロムロ山天文台にとどまり,その年,チリのセロ・トロロ天文台へと移った

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


エスピン (1858-1934)

英国の牧師,天文学者.バーミンガム市生まれ.バーミンガムの赤色星目録の改訂版を発表(1890),今世紀に入っては二重星や変光星観測を行う.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


エッジワース Edgeworth, Kenneth Essex (1880-1972)

アイルランドの天文学者,経済学者.彗星の巣であるエッジワース・カイパーベルトの提唱者である.

1880年2月26日にアイルランドのウエストミースに生まれる.叔父は天文学者で金星日面通過や後には光電測光を行っている.17才でウールウィッチの王立陸軍士官学校に入学し,第一次世界大戦に工兵および通信兵として従軍する.1926年に陸軍中佐で退役,1931年にアイルランドに帰るまでスーダンの郵政省に勤める.その間,国際経済学を研究して4冊の本を著した.

その後叔父の影響で天文学に興味を引き,1940年代に星や太陽系,赤方変移,赤色わい星の形成について数本の論文を著した.その中の1943年の「 The Evolution of Our Planetary System」という論文は,惑星系の果てに彗星の巣があるとした最初の論文である.これはオールトのオールト雲についての論文を7年さかのぼり,カイパーカイパーベルトより8年早かった.そのため,カイパーベルトのことを,エッジワース・カイパーベルトと呼び,これに属する天体をEKBOという.エッジワースは1972年にダブリンにて死亡.92才だった.

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参考文献

J. Brit. Astron. Assoc., 106, 6, 1996, p.354


エディントン Eddington,Arthur Stanley (1882-1944)

イギリス天文学者.ケンダールに生まれる.恒星進化論,恒星の運動などに関する研究で有名.主著は「相対性理論の数学理論」「物理的世界の本質」等.ケンブリッジのトリニティカレッジ卒業,しばらくしてグリニッジ王立天文台の主任助手となる.1913年ケンブリッジ大学の天文台長となる.1916年,恒星内部の様子を,放射平衡から論じる理論を発表.王立天文学会,王立協会のフェロー.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


エドレン Edlen,Bengt (1906‐  )

スウェーデンのグスムに生まれた.ウプサラ大学で学び,1928年同校の物理学部の助手,1936年助教授となる.1944年,ルンド大学の物理学教授となる.太陽コロナの禁制線理論で有名.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


エピック Oepik,Ernst Julius (1893‐???)

エストニアのクンダに生まれた.タルトゥ国立大学卒業後の1916年,ウズベクのタシケント天文台で働く.1918年モスクワの天文台に移り,2年後トルキスタン大学で講師をし,タルトゥ大学に天文学講師として戻る.1945年にはバルト大学エストニア分校学長,3年後北アイルランドに移り,職員をへてアーマー天文台の台長になっている.王立天文学会のゴールド・メダルを含むいくつかの賞を受賞.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


エラトステネス Eratostenes (前276‐195頃)

キュレネに生まれた.アテネで教育を受け,30歳のときにプトレマイオス3世エウエゲテスの息子の家庭教師となり,アレクサンドリアの研究所で働く.紀元前240年,この研究所の図書館長となる.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


エンケ Encke,Johann Franz (1791‐1865)

ハンブルクに生まれた.ゲッティンゲン大学中退.ゼーベルクの小さな天文台で助手,台長をつとめる.ベルリン科学アカデミー教授の職を得,1825年にベルリン天文台の台長となる.1818年にポンスが発見した彗星の軌道を計算し,周期約3年の彗星であることを発見した.ハレー彗星以外の初の周期彗星で,エンケ彗星と呼ばれる.1830年からベルリン天文年鑑を発行した.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


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