■ 人名辞典【け】 ページ 

ケトレ Quetelet, Lambert-Adolphe-Jacques (1796−1874)

ベルギーの統計学者,天文学者.1815年からヘント・カレッジの数学教師.1819年ヘント大学で博士号を取得,同年ブリュッセルのアテネーの数学教授.1820年ブリュッセル王立アカデミー会員に選ばれ,1834年に終身書記.1824年博物館で物理学,天文学を教える.1828年王立天文台の天文官となり,気象,地球物理,天文観測を行う.1825年頃から統計学への関心を強め,天文,気象,地球物理,統計各分野の国際的協力に活躍.


ケプラー Kepler, Johannes (1571−1630)

ドイツの天文学者.チュービンゲン大学神学部にすすみ,1594年グラーツで数学を教える.惑星体系の構造を数学的才能を駆使して論じ,1597年ティコ・ブラーエの助手となり,1601年皇帝付数学者.火星の運動を分析し,面積速度一定と楕円軌道という結論を得た.1619年数学的努力の結果としてケプラーの第3法則を発見.1628年,これらの成果をもとに惑星運行表「ルドルフ表」を出版.また1611年ケプラー式望遠鏡を考案.光学研究,求積法にも大きな成果を残した.


ゲミヌス Geminus (BC70頃)

エーゲ海のロードス島の天文学者・数学者か.「天文学序説」,「数学の原理」などを著す.


ゲラシモヴィッチ Gerasimovich, Boris Petrovich (1889−1937)

ソビエトの天体物理学者.1910年ハリコフ大学で物理学・数学・天文学を学ぶ.光行差の研究で1911年褒賞を得,1914年卒業ののちプルコヴォ天文台で天体物理学を研究.1917年以降ハリコフ天文台に入り,1920−33年まで同大主任研究員兼同天文台教授(1922年)となる.1931年プルコヴォ天文台に招かれ,1933年同天文台長.惑星状星雲の研究,銀河系の構造の研究などで知られる.特に,星間物質による光の吸収の重要性に着目し,銀河系内のセファイド型変光星の平均的距離の見かけ上の変化とその理論を応用し,また銀河系の中心方向の,いて座の銀河の明るさがさほどでもないことを説明.皆既日食観測にも遠征,晩年はソビエト科学アカデミーの天文部会の太陽研究委員長.


ゲラルドゥス Gerardus (Cremonensis) (1114頃−1187)

クレモナのゲラルド(Gherardo)とも呼ばれる.12世紀のヨーロッパで起こった大翻訳活動の代表的人物の一人.1140年から1185年まで,トレドでプトレマイオスの「アルマゲスト」やアリストテレスの著書をアラビア語の学術書をラテン語に翻訳し,中世ヨーロッパ世界に伝えた.他に,ユークリッドの「原論」をはじめ,アル=ファルガニーの天文学書,イブン・スィーナーの医学書や,ジジュやアストロラーベの使用解説書など,70以上に及ぶギリシャ・アラビアの重要な学術書をラテン語に訳した.


ゲリブランド Gellibrand, Henry (1597−1636)

17世紀イギリスの天文学者.オックスフォード大学文学部卒業(1623年修士号取得)ののちイギリス国教会の聖職に就き,ケント州の教区教会牧師となる.その後数学を学び1627年ロンドンのグレシャム大学の天文学教授となり,数学者ブリッグスの未完の数学書Trigonometria Britannicaの第2巻を完成出版した.また,磁針の指す方向が真の南北とやや異なる上その差が年とともに変化することに注目し,1635年その著書で発表.また,数理航海学に関心を持ち,経度の測定法に関する論文や,造船学に関する著述を残す.


ゲンマ・フリシウス Gemma Frisius, Reiner (1508−1555)

オランダの地理学者,数学者.はじめ医学を学び,ベルギーのルーベンで開業医となり,のち同地の医大で教鞭を執る.1529年21歳のときアピアヌスの地理書の改訂版を出版する.ほか,地球儀,天体観測器械類を設計.1533年,「世界誌」で三角法を用いて地図を正確に描く.また,携帯用の時計を用いて経度を計測する新しい方法を記述.


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