■ 人名辞典【ふ】 ページ  - - - -

フーシー Fouchy, JeanPaul (1707−1788)

月面上の輝点を利用して経度を決定する方法,地球及び内惑星軌道の離心率の決定法.1761年,1769年の金星の太陽面通過の観測.

ai.gif

参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


フマーソン Humason,Milton Lasell (1891‐1972)

アメリカの天文学者.ハップルと共に働き,1928年に銀河系外渦状星雲スペクトルの大きな赤方偏移の測定,1956年に「ハップルの法則」の修正を行う.ミネソタのドッジセンターに生まれた.1908〜10年のあいだに高等学校を自ら放棄.シエラマドレとウィルソン山の間のラバ遣いとなる.1911年,結婚.ラヴェルネにいる親戚を頼って職長となるが,1917年,ウィルソン山天文台の門番に転職.1919年,科学職員となり,1919〜54年,天文学者助手,その後ウィルソン山とパロマ山天文台の両方の天文学者となる.1950年,スウェーデンのルンド大学から名誉博士号を受ける.

ai.gif

参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ブラウン Braum, Wernher M.M. von (1912−1977)

ドイツのロケット技師.第二次世界大戦中にV2号の開発などに従事したあと.1958年,アメリカで最初の人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げを成功させる.NASAにて,アポロ計画のロケット開発などに指導的役割を演じた.

ai.gif

参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ブラウン Brown,Ernest William (1866‐1938)

ハルに生まれた.1887年,BAを取得.1889〜95年,クライストの特別研究員となる.1891年,ペンシルヴァニアのヘイヴァーフォード・カレッジで数学を教え,ヘイヴァーフォードの数学教授,イェール大学の名誉教授となり,1932年,退職.全米科学アカデミーや王立天文学会のような科学団体から賞を受けている.月の運動の表を制作し,1923年にハンセンの表に代わって採用される.

ai.gif

参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


フラウンホーファー Fraunhofer,Joseph von (1787‐1826)

バイエルンのシュトラビングに生まれた.11歳の時に孤児となり,ミュンヘンの鏡製造兼ガラス裁断師のもとで6年の徒弟奉公し,1802年,ミュンヘン科学器械会社の光学部門に入る.1809年,スイスガラス問屋ギノーのもとで,ガラス製造法について学ぶ.1819年からミュンヘンのバイエルン科学アカデミーの活動に携わり,1823年,そこの物理博物館の館長に任命され,教授という名誉称号を得る.1926年,病死.プリズム制作を特技とし,太陽スペクトル中に700本の暗線を測定し,太陽スペクトル分析の基礎を確立.ヘリオメーター,回折格子を発明.

ai.gif

参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ブラーエ Brahe,Tycho (1546‐1601)

ティコとも言われる.デンマークの天文学者.最後で最高の肉眼天体観測者.

クヌートトップに生まれ.コペンハーゲン大学で学ぶ.1566年,ヴィテンブルクとロストックの大学を卒業.多くの観測をする.1588年「天界の新現象」の中では,地動説と天動説を折衷した体系を提案.惑星は太陽の回りを回る(ティコの体系).1000の恒星の位置を決定した.また,その精密な観測結果は弟子のケプラーによってケプラー運動の発見へと結実していく.

ai.gif

参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


フラカストロ Fracastoro, Girolamo (1478−1553)

イタリアの医師.梅毒の紹介など伝染病の研究で知られるが,1538年に宇宙論を主題にした本を出版.この中で彗星の尾が太陽の反対を向くことなどを示している.ただ,この本の主題は,プトレマイオスの天動説から周天円や偏心円を排除しようという試みであり,これはパドヴァ大学の学友だったコペルニクスにも大きな影響を与えている.

yw.gif

参考文献

「科学者人名事典」丸善


ブラッコ Blazhko, Sergei Nikolaevich (1870−1956)

ロシアの天文学者.変光星の研究.1907年星のスペクトルを研究.1917年アルゴル型の食連星の研究において,食連星の軌道を求める一般法則を見いだした.

ai.gif

参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


プラスケット Plaskett,John Stanley (1865‐1941)

 オンタリオのウッドストック近くのヒクソンに生まれた.1889年,トロント大学物理学科の機械工となり,そこで講義をとり,最終的には講師となる.1903年,ドミニオン天文台で天体物理学研究の責任者となり,1917年,その天文台の初代台長に任命される.1935年,引退.1935年,王立協会のフェローとカナダ王立天文学会の会長に選ばれる.分光連星の研究で知られ,「プラスケットの二重星」を発見.O,B型の恒星スペクトルに注目して,銀河回転,銀河の重心の問題を研究.分光写真用反射鏡,天体物理観測所の装置を設計.

ai.gif

参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ブラッドリ Bradley,James (1693‐1762)

ドーセットのシャーボンに生まれた.1711年,オックスフォード大学のベイリオ・カレッジに入学.1714年,BAを取得.オックスフォード大学卒業.1718年,王立協会のフェロー,1719年,教区牧師となり,その後ハートフォード主教直属の牧師に任命される.1721年,オックスフォードのザヴィル天文学教授職につく.1742年,王室天文官に任命される.1748年,王立協会のコプリ・メダル受賞.1752〜62年,王立協会の評議会で働く.1728年光行差を発見.1748年に章動を発見.湿度,大気圧に伴う大気屈折の補正規則を明らかにして,精密な観測を可能にした.

ai.gif

参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


プラトン Platon (前420頃‐340頃)

本名アリストクレスAristoklesアテネに生まれた.ソクラテスの弟子となるが,ソクラテスが裁判にかけられて死んだ後,哲学者と教師になることを決意し,数年間旅をする.388年アテネに戻り,ギムナジウムの一部にアカデメイアとして知られるようになる学校を創立.367年頃ディオニュソス王の家庭教師としてシチリアに赴くが,数年後,アテネに戻る.その後の彼の生活については何もわかっていない.

ai.gif

参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


プラマー Plummer, Henry (1875−1946)

イギリスの天文学者.主著1918年「Dynamical Astronomy」理論的研究を行い,彗星運動,星団の力学や,誤差論の仕事をした.

ai.gif

参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


プラーナ Plana, Giovanni (1781−1864)

イタリアの天文学者,数学者.万有引力の法則のみに基づく月の運動表を作る仕事.1832年「月の運動の理論」

ai.gif

参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


<<< 前へ 【ふ】 - 3 次へ >>>