■ 人名辞典【し】 | ページ 1 - 2 - 3 - 4 - 5 |
□ シュトルーヴェ Struve, Friedrich Georg Wilhelm (1793〜1864)
ドイツ系ロシア人の天文学者.15歳の時ドイツを脱出してロシアに逃れ,ドルパト大学で学んだ.1813年,ドルパト大学天文学教授兼同天文台の台長となり,星の位置を精密に測定した.2重星の発見で知られ,1822年に795個,さらに1824年から3112個の二重星を発見している.1834年にプルコヴォ(プルコワ)天文台の建設を監督し1839年に世界一の39cm屈折望遠鏡を持つ天文台を完成させた.二重星の他に,ベッセルにおくれを取ったもの,ヴェガの視差を観測し,へンダーソンらと共に恒星の距離を見出した最初の1人となっている.力学視差の決定,光行差,歳差,章動などの精密な決定,星間物質の存在の実証を行なったほか,測地学の分野でも業績をあげた. 参考文献
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□ シュトルーヴェ Struve, Georg Otto Hermann (1886〜1933)
ドイツ系ロシア人の天文学者.ヘルマン・シュトルーヴェの子. 父がケーニヒスベルク天文台長に指名されたときその地に移り,ハイデルベルク,ベルリン両大学で学び,ボン,ハンブルク・ベルゲドルフ,ヴィルヘルムスハーフェン海軍天文台で観測者として働いたが,父が土星に傾けた情熱を受け継ぎ,1917年以降土星に関する論文を発表した. 参考文献
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□ シュトルーヴェ Struve, Gustav Wilhelm Ludwig (1858〜1920)
ドイツ系ロシア人の天文学者.オットー・ヴィルヘルム・シュトルーヴェの次男で,ヘルマンの弟. 1880年にドルパト大学を卒業後,プルコヴォ天文台,ボン,ミラノ,ライプツィッヒで研究,1885年に帰国してドルパト天文台に入った.星の位置測定と運動に興味を抱き,歳差と太陽系運動についての論文を多数発表している.1887年には銀河回転の論文を発表し,また月の半径を決定するために,皆既月食中の月による星食の観測を長年にわたってつづけ,その成果により,ロシア天文学会の最初の賞を与えられた.1894年,ハリコフ天文台台長,1919年クリミヤのタリウス大学教授. 参考文献
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□ シュトルーヴェ Struve, Karl Hermnn (1854〜1920)
ドイツ系ロシア人の天文学者.オットー・ヴィルヘルム・シュトルーヴェの子.1877年にドルパト大学卒業後,プルコヴォ天文台に入ったが,パリ,ストラスブール,ベルリン,グラーツなどに送られた.グラーツでボルツマンのもとで研究し,黒体放射の研究で博士となり,1895年,ケーニヒスベルク天文台長となった.土星環の研究の成果により,パリ科学アカデミーとイギリス王立天文学会から金メダルを贈られている.1904年,ベルリン・バベルスベルク天文台長,1913年新バベルスベルク天文台長. 参考文献
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□ シュトルーヴェ Struve, Otto Wilhelm (1819〜1905)
ドイツ系ロシア人の天文学者.ヴィルヘルム・シュトルーヴェの子で,1834年にドルパト天文台の助手として働いた.ドルパト大学卒業後プルコヴォ天文台に入り,1862年に台長になった.父とともに二重星の観測を行なったほか,自分でも547個を発見した.天文定数の研究,宇宙の構造の探究も行なった.世界の本初子午線を制定する必要を感じ,アメリカの天文学者とともにその運動の先頭に立った.国際的科学協力につくし,1872年には国際写真掃天委員会の議長をつとめた. 参考文献
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□ シュバリエ Chevallier, Temple (1794〜1873)
イギリスの天文学者.1817年ケンブリッジ大学を卒業し,1835年に,ダラム大学数学教授,1841年天文学教授,ヘブライ語上級教師となる.ダラム大学に天文台を作り,フラウンホーファー赤道儀を用いて,太陽,彗星の研究を行う.「やさしい力学講義」など入門書にすぐれた才能を示した.ダラム大学に,鉱山土木工学のクラスや物理学科を設立した.古典学など幅広い著作を行なっている. 参考文献
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□ シュペーラー Spoerer, Gustav Friedrich Wilhelm (1822〜1895)
ドイツの天文学者.ベルリン天文台で天文計算に従事した後,各地の中学教師を歴任して,1874年にポツダム天体物理天文台勤務.彼は綿密に太陽観測を行い,表面の回転速度のちがいを詳細に明らかにした.彼は太陽黒点が緯度35°近辺に現われ,活動周期の末期には緯度5°近辺に集中するように赤道へ向かって移動することを発見した.これをシュペーラーの法則という. 参考文献
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□ シューマッハー Schumacher, Heinrich Christian (1780〜1850)
ドイツの天文学者で測地学者.法律を学んだが,1807年にゲッティンゲン大学事務職員となり,ガウスから天文学を学んだ.1808年からハンブルク大学で数学を研究し新しい星表のための基礎観測に従事した.1810年コペンハーゲン大学の臨時数学教授. 1820〜29年の各種推算表の出版と,1823年に創刊のドイツ天文学会の機関誌「アストロノミシェ・ナハリヒテン」の初代編集長としてその手腕を発揮し,資料と情報の分野で活躍した. 参考文献
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□ シュミット Schmidt, Bernhard Voldemar (1879〜1935)
エストニア系ドイツの光学機械製作者.イェーテボリ,ミッテワイダの工業学校で学び,ミッテワイダに小工場を設け,小口径の反射望遠鏡を作った.1905年にポツダム天体物理天文台の口径40cmの今でいうカセグレン式反射望遠鏡を製作,1926年からハンブルク・ベルゲドルフ天文台に移り, 1931年頃シュミット・カメラを発明し製作した.彼は少年時代に事故で右腕を失ったが,それにもかかわらず自力で鏡を研磨し,精巧な光学系で天文学の観測に貢献した. 参考文献
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□ シュミット Schmidt, Carl August von (1840〜1929)
ドイツの地球物理学者,天体物理学者.1863年にチュービンゲン大学で学び1912年にシュツッツガルト中央気象台長,1902〜12年にストラスブルグの地震研究所の理事.地球の形状,地軸の変動,鉛直線偏差,太陽大気および彩層中での屈折,太陽自転,太陽のエネルギー源,彩層スペクトル,太陽フレア,火星,土星環の安定性などの研究がある. 参考文献
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□ シュミット Schmidt, Johann Friedrich Julius (1825〜1884)
ドイツの天文学者. 1842年からハンブルク天文台で実地天文学を習得し,1845年にベンツェルベルクの私設天文台.翌年ボン天文台でアルゲランダーの助手となり,1858年にアテネに新設された天文台の台長に指名された.そこで彗星,変光星,星雲,黄道光を観測し,火山と地震の研究も行ったが,彼は主として月面の観測で有名である. 参考文献
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