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ベイリー Baily, JeanSylvain (1854−1931)

アメリカの天文学者.球状星団中の変光星を研究し,シャプレーの距離測定の基礎をつくる.十数時間という長時間露光の写真撮影を開発.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ベイリー Baily, Francis (1774−1844)

イギリスの天文学者.バークシャーのニューベリーに生まれた.1788年,ロンドンの商社で7年の年季奉公.その後,北アメリカのまだ定住民のいない場所を探索.1798年,イギリスに戻り,株式仲買人となる.1820年,ロンドンの天文学会が設立され,初代副会長となる.1821年,王立協会のフェローに選ばれる.1825年,株式仲買人をやめ,天文学に専念.王立協会のゴールド・メダルのほか多くの賞を受賞.1826年に2881の星の位置の計算を出版.1836年の金環日食中に月のへりにそってみえる点の列を見出し,ベイリービーズとして現在しられる.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ベーア Beer, Wilhelm (1797−1850)

ドイツの天文学者.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ヘイル Hale,George Ellery (1868‐1938)

シカゴに生まれた.オークランド法律学校で学び,シカゴのアダム・アカデミーへと進学.マサチューセッツ大学に入学.1892年,シカゴ大学の天文学教授となる.1899年,アメリカ天文学会の創設に貢献.1904年,ウィルソン山天文台の台長となる.その後,口径5mの反射望遠鏡の建造に指導的役割を果たす.1923年,退職.太陽,恒星の分光研究家.「銀河の彼方から」などの著者.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ペイン‐ガポシュキン PayneGaposchkin,Cecilia Helena (1900‐1979)

アメリカの天文学者.女性.1938年「変光星」というモノグラフを刊行.変光星についての知識を集大成した標準的文献となった.バッキンガムシャー,ウェンドウヴァーに生まれた(旧姓ペイン).1919年,ケンブリッジ大学のニューナム・カレッジに入学.1923年,卒業.マサチューセッツ,ケンブリッジのハーヴァード・カレッジ天文台で研究.1925年,Ph.Dを取得.1927年,そこの天文台の天文学者に任命される.1938年,ハーヴァードのフィリップス天文学者職につき,1956年,天文学教授となる.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ヘヴェリウス HeveliusHewel,Hewelcke),Johannes (1611‐1687)

北ポーランドのグダニスクに生まれた.裕福な醸造商人.17世紀の最も活躍した観測家の一人.1644年,水星の満ち欠けを発見.太陽黒点,彗星等の観測を行う.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ペゼナス Pezenas, Espris (1692−1776)

フランスの水路学者,天文学者.水先案内,航海天文学について多くの著作有り.17世紀前半のイギリスの科学の著作を翻訳.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ベッセル Bessel,Friedrich Wilhelm (1784‐1846)

ドイツの天文学者.ミンデンに生まれた.15歳のときに貿易会社の年期奉公人として働き始める.逃げることを夢みて旅をすることを決意.1804年,ハレー彗星についての論文を書く.1806年,初期の月観測家シュレーターの下で働く.4年後,プロイセン政府からケーニヒスベルクにドイツ初の大天文台を建設する仕事を依頼される.1810年,そこの天文学教授に任命される.1838年,年周視差の発見.18ヶ月の観測で,はくちょう座61番星に0.314秒の視差を確認.ベッセル関数.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ベーテ Bethe,Hans Albrecht (1906‐  )

ドイツの物理学者.ノーベル物理学賞受賞者.シュトラスブルクに生まれた.フランクフルト大学とミュンヘン大学で学ぶ.1928年,ミュンヘン大学からPh.Dを取得.1928〜29年,フランクフルト大学の,それからシュトゥットガルトの物理の教師となり,1930〜33年,ミュンヘン大学とチュービンゲン大学で講義を続ける.1934年ブリストル大学のフェローとなり,1935年に助教授,1937年に教授となる.1935年,アメリカに渡り,コーネル大学の物理のジョン・ウェンデル・アンダーソン教授職につく.1943〜46年,ニューメキシコのロスアラモス科学研究所の理論物理部門の長であり,1947年にはロスアラモスの顧問となる.

最大の業績は恒星内部でのエネルギー生成について,ワイツゼッカーと並行して核反応サイクルについての理論を研究,ジョージ・ガモフアルファーとともに,αβγ理論を打ち立てる.1938年と1940年にニューヨーク科学アカデミーのモリソン賞,1946年,アメリカのメリット・メダル,1948年,全米科学アカデミーのドレーパー・メダル,1955年と1961年にプランク・メダルを受賞.アメリカ物理学会の特別会員.1951年,会長もつとめる.1967年,ノーベル物理学賞受賞.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ペーテルス Peters, Carl F. W. (1806−1880)

ベッセルの弟子でその後継者.章動・シリウスの固有運動,年周視差に関する研究.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ヘラクレイデス Herakleides (前388‐315)

黒海沿岸のヘラクレアに生まれた.アテネに移住.アカデメイアでスペウシッポスの弟子となる.ピュタゴラス派の学校に参加していたといわれている.アリストテレスと接触あり.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ヘルツシュプルング Hertzsprung,Ejnar (1873‐1967)

デンマークのフレデリックスベアに生まれた.1898年,フレデリックスベア工科大学卒業.1898〜1901年,ペテルブルクで働く.コペンハーゲンに戻り,コペンハーゲン大学とフレデリックスベアのウラニア天文台で民間天文学者として働く.1909年,ゲッティンゲン天文台の天文学助教授の職につく.1919年,天文物理学部長に任命される.のち,ライデン大学の教授,天文台の台長となる.1945年,退職.科学アカデミーの会員に選ばれ,多くの賞を受賞.1905年,恒星に巨星と矮星があることを発見.スペクトル型を横軸に,絶対等級を縦軸に目盛った恒星の統計図を作り,分光型と絶対等級の間に一定の関係があることを発見→ヘルツシュプルング・ラッセル図(HR図)

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アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ヘルムホルツ Helmholtz, Hermann Ludwig Ferdinand von (1821−1894)

ドイツの生物学・物理学者.ポツダム生まれ.太陽のエネルギーは熱を放散しつつ収縮により位置のエネルギーを熱に変換していると主張.(収縮説)

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


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