■ 人名辞典【し】 ページ  - - - -

シュレシンジャー Schlesinger, Frank (1871〜1943)

アメリカの天文学者.1890年ニューヨーク市立大学卒.1898年にコロンビア大学で学位をとり1903〜05年までヤーキス天文台で恒星視差の測定に従事.後ピッツバーグのアレゲニー天文台に台長,エール天文台台長.ここで9等星までの数千個の恒星の正確な位置と固有運動を示すカタログを作るための調査を行い,1924年と1935年に「輝星目録」(ブライトスターカタログ)を刊行した.1925年に南アフリカにエール・コロンビア南天観測所を設置し位置と視差測定を行なった.1932から1935年まで国際天文学連合の会長をつとめた.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


シュレーター Schroter, Johann Hieronymus (1745〜1816)

ドイツの天文学者.音楽を 通してハーシェル一家と会い,天文学の興味をよみがえせ1781年にリリエンタール市長となり,ハーシェル製作の機器などをいれた天文台を建設した.

戦争で天文台が焼けた後,生地エアフルトに戻り,新しい天文台を建てたが健康を害し観測せずに亡くなった.月面と惑星面を長期にわたって組織的に観測した最初の人であり,1791〜1802年に「月面図」を出版した.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


シュレーディンガー Schrodinger, Erwin (1887〜1961)

オーストリアの物理学者.ノーベル物理学賞受賞者.量子論の始祖の一人であり,波動力学,特に電子を波動であらわすことに端を発する波動の式(シュレーディンガー方程式)と波動関数Ψの研究で有名.

1910年ウィーン大学で博士号取得,1925年からド・ブロイの研究から出発し,波動力学を発展させ粒子を消去し波動であらわすというシュレーディンガー方程式(波動方程式)を確立する.これの水素原子への適用によって,1933年にディラックとともにノーベル物理学賞を受賞する.1927年,プランクの後をついでベルリン大学教授となる.1933年にナチスの台頭に不満をいだき,イギリスのオックスフォード大学にうつり,後に1936年オーストリアのグラーツ大学に戻ったが,ナチスに追われ,アイルランド首相で物理学者のイーモン・ド・ヴァレラにまねかれて1936年にダブリン高等研究所に1956年に引退するまで勤務した.また,この間生命科学,特に遺伝子の研究についての議論も行っている.これは現在のゲノムプロジェクトにも通づる内容であった.

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参考文献

「科学者人名事典」丸善


ジョイ Joy, Alfred H. (1882〜1973)

アメリカの観測天文学者. 1903年,グリーンヴィル・カレッジで博士号を取得.1904〜14年レバノンのアメリカ大学天文台で働き,1914年にアメリカに戻りヤーキス天文台,後にウィルソン天文台の職員.1915年より恒星の分光視差の研究に長年にわたって従事し,1935年に4179の恒星の分光視差のカタログを同僚とともに出版した.分光学的観測によって“ミラの伴星”の存在を突きとめた.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ショート Short, James (1710〜1768)

スコットランドの光学技師.1726年にエディンバラ大学入学,1753年セント・アンドリュース大学から学士号.反射鏡の製造をはじめ,生涯に1370台の望遠鏡を作った.そのうち110台が現存している.タヒチで観測したクックもショート製のすぐれた望遠鏡を2台使っている.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ジョーンズ Jones, Sir Harold Spencer (1890〜1960)

イギリスの10代目王室天文官.ケンブリッジ大学を経て,1913年グリニジ天文台,1923年にケープ天文台台長.位置天文学に力を入れ,1930〜31年の小惑星エロスの衝の観測により太陽視差を決定する国際協力を呼びかけ,24ヶ所の天文台の協力により求められた太陽視差は8.7904″±0.0010″であった.彼は月の質量,地球の偏率,章動定数というような基礎的な研究でも成果をあげ,報時の改良,自動計算機の導入に力を注いだ.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ジョンソン Johnson, Harold L. (1921〜1980)

コロラド州生まれのアメリカの天文学者.1942年,デンバー大学を卒業し,1948年カリフォルニア大学(バークレー分校)で博士号を取得した.全米各地の天文台を転々としたのち,アリゾナ大学の月・惑星研究所の創始者の1人となる.1940年代より,恒星測光の領域で,先駆的仕事を行い,UBV系の国際的受容に貢献し,やがて恒星測光の権威となった.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ジョンソン Johnson, Manuel John (1805〜1859)

マカオ生まれのイギリスの天文学者.セントヘレナで南天の星を測定し,カタログを作り,のちラドクリフ天文台で北天の星のカタログを作った.エープで1829年から観測し,606の星表を東インド会社から出版した.1835年帰国して,王立天文学会のゴールド・メダルを受ける. 1839年ラドクリフ天文官.周極星6317のカタログを作製し,1860年に出版した.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


シラカツィ Shirakatsi, Anania (620頃〜685直後)

アルメニアのシラカワン(現アニ)の科学者.数学,地理学,哲学,天文学に通じていた.天の川を暗い星ぼしの無数の集まりと考え,月は太陽の光を反射して光っていること,月と太陽の位置関係によって位相変化を見せると述べていた.19年の周期を使って日月食の正しい説明を与え,また太陽,月,惑星までの距離を決定し,太陽の大きさを求めようとした.彼の作った月の位相表は,現代のものに匹敵するほど正確であったという.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


アッ=シーラージー al-Shirazi, Qutb al-din Mahmud ibn Masud ibn Muslih (1236〜1311)

アラビア(ペルシャ系)の天文学者.医学・数学・光学などや,哲学・神学の分野でも活躍した.クトゥプ=ディーンとも呼ばれる.イランのシーラーズ出身で,各地を旅し, 10以上の天文学著作を著したが,「天文学知識の究極的理解」が特に重要で,師のアッ=トゥーシーが示した新しい惑星理論をさらに発展させた.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ジーンズ Jeans, Sir James Hopwood (1877〜1946)

イギリスの物理学者,天文学者.1896年ケンブリッジ大学で学び,1905〜09年アメリカでプリンストン大学教授,ケンブリッジ大学講師を1912年まで勤め,以後研究と著作に専念した.彼の業績は,気体分子運動論であり,レーリー・ジーンズ放射法則で知られる.電磁理論,量子論の著作もある.回転流体の研究で,惑星の生成論における星雲収縮説を否定し,潮汐説を支持した.この成果は1919年の「宇宙論と恒星力学の問題」にまとめられている.また,運動論を天体物理学の問題に適用し,恒星の内部構造について議論を行った.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


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