■ 人名辞典【さ】 ページ 

ザイデル Seidel, Philipp Ludwig von (1821〜1896)

ドイツの天文学者,数学者.1840年ベルリン大学,ケーニヒスベルク大学を経てミュンヘン大学で学位を得た.彼は恒星,惑星の光度計算,望遠鏡の光学系の研究,望遠鏡の改良を行なった.特に光学における,ザイデルの収差は名高い.1855年ミュンヘン大学の教授,のちに国王の顧問となった.大学では天文学の他に数学も受け持ったが,終生リーマン幾何学を認めなかった.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


サヴェリエフ Savelyev,A,S. (生没年不明)

ロシアの太陽物理学者.18世紀から19世紀にかけて,太陽黒点の周期の研究を行なった.太陽黒点数の増加と歩調をそろえて太陽の放射強度が増大しているという測定結果を発表し,ウィリアム・ハーシェルの推測を支持した.1890年に太陽定数を3.47と求めている.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


サウス South, James (1785〜1867)

イギリスの天文学者.外科医だったが,1816年に医者をやめて天文学に打ち込んだ.ロンドン天文学会の初代会長をつとめ,王立天文学会へと発展させた.ロンドンに天文台を作り,ジョン・ハーシェルと協同して,ウィリアム・ハーシェルが観測した二重星の変化を調べ,380個の重星カタログを1824年に発表した.その後イギリスの航海暦の問題からロンドン天文学会を脱退して,フランス製の29.7cm口径の望遠鏡をもつ天文台を建て,二重星等の観測を行なった.この望遠鏡は壊されたが,レンズだけダンシング天文台に引き取られ使用されている.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ザノッティ Zanotti, Eustachio (1709〜1782)

イタリアの天文学者,数学者.ボローニャ大学を卒業後,1739年にボローニャ天文台台長.近代的観測器具をととのえ,この天文台を,当時ヨーロッパで最高のものにした.太陽,彗星,変光星の観測を行い,1750年には447個の恒星カタログを出版.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


サハ Saha, Megh Nad (1893〜1956)

インドの天文学者で,天体物理学の基礎をきずいた.ダッカ(現在のバングラディシュ)国立大学を卒業後,1916年カルカッタ理科大学講師となる.1919年にロンドンのファウラー研究所,つづいてベルリンのネルンスト研究室に行き,有名なサハの電離式を導いた.サハの電離式によって,はじめて恒星のスペクトル型の正しい解釈が可能になり,原子の電離度がわかればその恒星の表層の温度と電子圧が決定できるようになった.1921年に帰国し,母国の科学研究につくした.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


サヴァソルダ Savasorda(本名 Abraham bar Hiyya ha-Nasi (1189年以前に活躍)

カタロニア(スペイン)のバルセロナで活躍した数学者,天文学者.サバソルダは本名ではなく,アラブの官職名をラテン語訳したもの.ヘブライ語で数学書と天文書を著したが,これがラテン語に訳され,アラブの科学をヨーロッパへ紹介した最初のものとなった.二次方程式の解法,三角法,十進法を紹介.天文書には,天文学全般を取り扱った「地球の形状」,天文計算を解説した「星の運動の計算」,アル=バッターニーの暦法を応用した「プリンス法」などがある.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


サービト・イブン・クッラ Thabit ibn Qurra ibn Merwan al-Harrani, Abu al-Hasan (836〜901)

メソポタミアの数学者,天文学者.ギリシャ,シリアの書を精力的にアラビア語に訳した.天文学の著作も多い.不動の地球の中心のまわりを一定の速度で回転する天球を説いたアリストテレスの理論と,周転円を導入したプトレマイオスの説の違いを述べた.

彼の息子(シナーン・イブン・サービト,943没)も,同じく数学者,天文学者.

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アボット編「世界科学者事典」原書房,他


サビン Sabine, Sir Ebward (1788〜1883)

英国陸軍士官学校卒の軍人.天文学と地理学に興味を抱き,1818〜20年北西航路を見出すための北極探検に参加し,熱帯地方およびグリーンランドで地磁気の観測を行ない,1861〜71年に王立協会会長をつとめた.高感度振子を用い,世界中の17地点で地球の形状を調査した.彼の影響により英国植民地に磁気観測所が設立され,その観測から地磁気が10〜11年周期で変動していることを発見し,1851年に,地磁気変動と,シュヴァーベが発見していた太陽黒点周期との間に相関関係があると発表した.地磁気周期変動の発見はJ.ラモントの方が早いが,ラモントは太陽周期との関連には気づいていない.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


サボティン Subbotin, Mikhail Fedorovich (1893〜1966)

ソ連の天文学者.ワルシャワ大学を卒業後,モスクワ天体物理研究所,タシュケント天文台長(1925),レニングラード大学天文学部長(1930),レニングラード大学天文台長(1934),ソビエト理論天文学研究所長(1942)などを歴任.主として天体力学,理論天文学,天文学史の分野で業績を残した.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


サムプソン Sampson, Ralph Allen (1866〜1939)

スコットランドの天文学者.ケンブリッジ大学に学び,ニューワルとともに天体分光学を研究した.後にダラム大学数学教授となり,木星の4大衛星の運動論を研究した.1910年の“木星の4大衛星表”は,米暦のための計算基礎として利用されている.1910年にスコットランド王室天文官,エディンバラ大学天文学教授に指名され,ここでショルト自由振子時計の開発を促した.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


アッ=ザルカーリー al-Zarqal, Abu Ishaq Ibrahim ibn Yahya al-Naqqash (1029?〜1100)

スペインのアラブ系天文学者.天文機器製作者でもある.自分の観測及びトレドに住む他の天文学者の観測を使って天文表「トレド表」を作った.これはアルフォンソ表が作られる13世紀までヨーロッパで使われた.水時計,新種の天球儀などの他,暦も作った.彼は水星の軌道を円でないとしている点から,彼がケプラーの惑星軌道の考えを500年も前に抱いていたとする説もある.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ザンストラ Zanstra, Herman (1894〜1972)

オランダの天体物理学者.惑星状星雲の研究で,エネルギー保存の理論をうまく応用し,すべての水素輝線の全強度が,星雲によってもともと吸収された中心の恒星の光の強度と等しくなければならないことを確認した.また,彗星の尾の蛍光理論をすすめ,理論上の明るさが,強い輝線スペクトルを示す彗星の観測結果と一致することを示した.彼の惑星状星雲に関する理論は,HII領域についての理論,複雑な星雲の研究の基礎となった.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


サンデージ Sandage, Allan Rex (1926〜  )

アメリカの天文学者.イリノイ大学を卒業し,1948年にカリフォルニア工科大学大学院天文学科に入り,1952年からはハッブルの助手としてパロマー山およびウィルソン山天文台のスタッフ.後にパサデナのカーネギー天文台のスタッフとして活躍中.

主な研究はハッブル定数,クエーサー,宇宙の減速パラメータについてである.また,1957年に発表した星団の色−等級図表は,恒星進化論の基礎となった.遠い天体の距離を,赤方偏移とは独立に推定する方法をあみ出したほか,1976年ハッブル定数を,100万パーセクにつき秒速52kmと改訂し,宇宙の年齢を180億年と推定した.1965年に青色恒星状天体(電波静穏クエーサー,QSG)を発見し,この天体が局所的距離にあるか,宇宙論的距離にあるかについて,ライルと論争を展開したが,サンデージの主張する宇宙論的距離が,現在正しいと考えられている.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


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