■ 人名辞典【ら】 ページ  -

ライエ Rayet,George Antoine Pons (1839-1906)

フランスの天文学者.パリ天文台で,シャルル・ヴォルフと共同し,写真,分光研究を行い,新星の一生における「ヴォルフ・ライエ段階」を発見.

ボルドーの近くに生まれ,エコールノルマルシュペリュールで物理学の学位をとる.卒業後教職についたあと,ルヴェリエがパリ天文台に新しく創設した天気予報サービスに物理学者として就職.1873年,気象サービスの運営を委任されるが,1年もたたないうちに解雇.それからマルセイユの科学学部で物理学講師となり,1876年,ボルドーの天文学教授となる.1879年,世界の天文台の歴史と設備の調査を開始し,フロアラックの天文台の台長となる.1906年病死.

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ライト Wright, William Hammond (1871-1959)

アメリカの天文学者.太陽運動,恒星の視線速度の研究.惑星,特に火星の研究に6色のバンドの写真を使った最初の人.惑星状星雲とその中心星の研究に貢献.波長によって,撮影した火星の直径が違ってくるライト現象を発見した.

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ライト Wright,Thomas (1711-1786)

イギリスの天文学者.1750年の「自然法則上に立てられた宇宙の起源説,または新仮説」が,のちにカントによって注目され,カント・ラプラス星雲説の先駆者と呼ばれる.バイヤーズグリーンに生まれ,奉公に出されて13歳で学校を中退.いろいろな職につく.1742年ペテルブルクの科学アカデミーの数学教授の地位を辞退し,残りの生涯を著述家兼教師としてバイヤーズグリーンで過ごす.

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ライマン Lyman, Chester Smith (1814-1890)

アメリカの天文学者,地質学者.金星大気の存在の証拠を与えた.

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ライマン Lyman, Theodore (1874-1954)

アメリカの物理学者,紫外線領域の分光観測技術を開発し,1906年に水素の紫外スペクトルにライマン系列の吸収線を観測した.

1900年,ハーヴァード大学で博士号.ドイツとイギリスに留学したあと,ハーヴァード大学にもどる.1921年〜1925年までハーヴァード大学ホーリス物理学教授.また1910年〜1947年まで同ジェファーソン物理学研究所所長を勤めた.

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ライヘンバッハ Reichenbach,Georg Friedrich von (1771-1826)

ドイツの機械製作者,機械工学者.ドイツの産業化において機械工学者として指導的役割を果たし,19世紀ドイツの装置製作業の基礎をつくった.

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ライル Ryle,Martin,Sir (1918‐1984)

イギリスの電波天文学者.ノーベル物理学賞受賞者.「位相切換法」の発明.「開口合成法」の開発に指導的役割を果たす.1974年,パルサー発見に功績のあったヒュイッシュとともに,電波天文学の先駆的業績でノーベル物理学賞を受賞した.ケンブリッジ大学での3番目(1959年)と4番目(1965年)の全天電波サーベイの結果は,電波源カタログ3C,4Cとして特に有名.平和運動家としても名高かった.

1939年,オックスフォード大学卒業.マルヴァインの電気通信研究所に参加.ケンブリッジのキャベンディッシュ研究所に入る.1948年,物理学講師となり,翌年,トリニティ・カレッジの特別会員となる.1952年,王立協会の特別会員に選ばれ,7年後,ケンブリッジ大学電波天文学教授となる.1966年,ナイトの称号を授与.1972年,王室天文官となる.1984年10月14日没.

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ラインホルト Reinhold, Erasmus (1511-1553)

ドイツの天文学者.コペルニクスの体系(太陽中心説)に基づいて,天体運行表(プロイセン表)を作成した.この表はコペルニクス体系を広めるのには役にたった.また,1542年には,プトレマイオス体系(地球中心説)の解説書プールバッハの「惑星の新理論」の注釈書も著している.

コペルニクスの力量を評価しながらも,どの惑星理論も仮説であるとして,実存的なものとはみない態度は,16世紀後半に大きな影響をもった.

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ラカイユ Lacaille,Nicolas Louis de (1713-1762)

フランスの天文学者.喜望峰で南天の星を観察,月の視差測定をした他,約1万個の恒星表と南天星図の製作,14の新設星座を観測器具にちなんで命名した.フランスのリュミニに生まれ,パリのコレージュ・リジューに学び,1736年,アカデミー・デ・シヤンスと連絡を取り,翌年天体観測を始める.デ・シヤンスの会員に選ばれ,26歳でコレージュ・マザランの数学教授に任命される.アカデミー・デ・シヤンスに南天を研究する研究を提出し計画の責任者となる.1750年,航海に出る.1753年,計画を完成.1754年,パリに戻り,研究を続ける.1762年過労のため死去.

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ラグランジュ Lagrange,Joseph Louis (1736-1813)

フランスの数学者.天体力学では,木星の衛星の運動,月が同一面を地球に向ける原因,月の三体問題,力学では,変分法の利用,仮想変位の原理などに成果をあげる.主著「解析力学」.トリノで生まれ,19歳のとき,トリノの砲兵学校の数学教授に任命され,翌年ベルリン科学アカデミーの会長に選ばれる.1763年,1766年,1771年,1774年,1780年アカデミー・フランセーズが主催した数学コンテストで受賞.1776年,ベルリン・アカデミーの数学部門の長となる.1787年パリに移住.ロンドンの王立協会の特別会員に推され,1795年エコール・ポリテクニクの数学講師となる.1799年,引退.

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ラザファード Rutherfurd, Lewis Morris (1816-1892)

アメリカの天体物理学者.天体写真,分光学の研究をし,太陽のスペクトル写真,HとF線の間の78.7pのスペクトル写真を撮影.ニューヨーク州のモリサニアに生まれ,マサチューセッツの学校を卒業し,法律の勉強をする.結婚により裕福になったため弁護士をする必要がなくなり,7年間外国を旅行.1856年,アメリカに戻り,自分の天文台を建設.残りの生涯を天体写真と分光学の研究に費やした.

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ラッセル Russell, Henry Norris (1877-1957)

アメリカの天体物理学者.イオン化理論をもとに,スペクトルの量子論を展開し,恒星大気の主成分が水素であることを確認.ニューヨーク州のオイスターベイに生まれた,1897年,プリンストン大学卒業.1899年,Ph.Dを取得.イギリスのケンブリッジ大学天文台のヒンクスの仲間に加わる.1905年,プリンストンに戻り,教授兼天文台台長となる.1921年,ウィルソン山天文台のリサーチ・アソシエート,1927年,研究教授職となる.

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ラッセル Russell, Henry Chamberlaine (1836-1907)

オーストラリアの天文学者,気象学者.オーストラリアにおける科学・技術教育の確立に努力.

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