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中世アラビアでは,数多くの王立,私立の天文台が建てられたが,占星術を好む君主の時は栄え,それ以外は衰退した.11世紀の初めの天文学者のイブン=ユーヌスは,祈祷者の時間決定,ラマダン月の初めと終わりの決定,祈祷のために必要な日月食の予報,キブラの方向決定,月日の配当,農事等の理由で天文学が必要であると説いた.宗教的な理由が第一で,その後に農業の必要性が叫ばれた.アラビアの天文台の観測機器は非常に大きかった.その片鱗は現在のインドのデリーやジャイプールに残る遺跡で想像できる. 9世紀初めに,バクダッド,次にダマスカスに初めて天文台ができた.ダマスカスの天文台には半径5mの象限儀,高さ5m以上のノーモン等があった.11世紀にアル=バッターニが建てた私立天文台にはアストロラーベ,ノーモン,日時計,渾天儀,直径5mの高度測定器があった.他に,10世紀のシャラーフ・アル・ダラウがバクダッドに建てた天文台,アブール・ワファーがバクダッドに建てた私立天文台,アル・フジャンディーがレイに建てた天文台,11世紀にウマル・ハイヤームが活躍したイスファハーンの天文台等がある. 13世紀には,イルハーン国のフラグ汗がナシル・アッ・ディーンにより作らせたマラガ天文台がある.ここには固定象限儀,天の北極と南極以外に黄道を基準とした渾天儀,食の観測装置等が多くの器械があった. 1420年,ウルーグ・ベクがサマルカンド(現ウズベキスタン)に天文台を建てた.近年の発掘によると,半径40mの六分儀等があり,黄道の傾斜角を23度30分17秒と測定している.これは現在の値に比べて32秒しか誤差がない. 参考文献
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