火星探査機

太陽系の内側から4番目,地球のすぐ外を回る火星を観測する探査機をいう.

1964年11月にアメリカが打ち上げたマリナー4号は,翌年7月に火星から9,600kmの地点を通過し,初めて火星の近接撮影に成功し,電波観測から火星の気圧が地球の1%未満であることなどがわかった.また1969年2月と3月に打ち上げたマリナー6号7号も,それぞれ7月,8月に火星近傍を通過し100枚前後の写真を撮影した.

1971年5月にアメリカが打ち上げたマリナー9号は,11月に火星の周回軌道にのり,火星を回りながら表面の70%を撮影した.またソ連は,同じく1971年5月に火星2号,3号を打ち上げ,どちらも11月に火星周回軌道にのり,観測装置を落下させたが観測は失敗した.

1973年7月,ソ連は火星4号,5号を打ち上げたが,4号は火星周回軌道にのらず,5号のみ翌年2月に火星周回軌道に到着,写真撮影を行った.さらにソ連は同じ1973年8月にも火星6号,7号を打ち上げた.火星6号は翌年3月に火星周回軌道にのったが着陸機が失敗.火星7号は周回軌道にのらず失敗.

1975年8月に,アメリカはヴァイキング1号を,9月にヴァイキング2号を打ち上げ,両方とも翌年火星周回軌道にのり,1号は8月,2号は9月に火星表面に着陸機をおろし,クリュセ平原,ユートピア平原に軟着陸させた.着陸機は大気組成などの通常の科学観測の他,ロボットアームで火星の土壌調査を行った.着陸機は2号機は1980年,1号機は1982年までデータを送信した.

1988年7月,ソ連は火星の衛星フォボスの探査を目的とした国際的な探査機フォボス1号,2号を打ち上げたが,1号は8月に通信途絶,2号は翌年11月に火星周回軌道に到着し,写真を撮影したが1990年3月に通信がとだえた.

1992年9月に,アメリカが打ち上げたマーズ・オブザーバーは,翌年8月火星軌道に入る直前に通信がとだえた.

1996年12月,アメリカが打ち上げたマーズ・パスファインダーは,1997年7月に火星表面の軟着陸し,初の火星探査車ソジャナーが太陽電池で活動を行った.また着陸船も高画質の火星パノラマ写真の撮影などを行った.約3ヶ月後,着陸船からの通信がとだえたが,その間に16000枚以上の写真や岩石の分析データを地球に送信し,従来の火星探査機の1/10程の予算のマーズ・パスファインダーは大きな成果をあげた.

1996年11月,アメリカが打ち上げたマーズ・グローバル・サーベイヤーは翌年8月に火星周回軌道に入った.火星を周回しながら,2mの物体まで撮影できるカメラで,火星の詳細な地図を作成することが主要な目的の1つである.本格的な地図作成の観測は,軌道を下げてから1998年3月から行っている.

1998年7月には,日本初の火星探査機「のぞみ」が打ち上げられた.数次の月・地球フライバイ航法で加速し,火星には2003年到着予定(当初は1999年末到着だったが,故障のため軌道を修正した)微弱といわれる火星の磁場の探査を行うほか,粒子検出器で火星の衛星から隕石衝突などで放出された塵を測定する.

1998年12月と1999年1月には,アメリカの探査機,マーズ・クリメイト・オービターとマーズ・ポーラー・ランダーが打ち上げられた.それぞれ火星の気象の探査と,火星の極に着陸しての土壌などの探査を行う.1999年末に到着予定.

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参考文献

Jane's「Spacecraft Directory」Interavia
宇宙開発事業団編「NASDAノート95」宇宙開発事業団,
インターネットのホームページ