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江戸時代はおおむね不定時法(一部で定時法)がつかわれていた. 【庶民の時の測り方】 江戸時代末,安政4年に出版された「西洋時辰儀定刻活測」によると明け六つは大変測りにくいが明るい星がぱらぱら見え,手のひらの内で筋は見えないが,太い筋が3筋ほど見えるときである,とある.しかし,雨天,月夜では測りにくいとある.庶民はこのようにして時を知ったのであろう.また,時の鐘が広く普及していたので,これを聞いて時刻を知った.時の鐘はお城で使われていた城鐘と寺が撞いていた寺鐘の2種類に分けられる.城鐘は時計等で,寺鐘は定香盤等を使用したのではないかと思われる.また,庶民は旅行の際など,精度が悪い携帯用の日時計を持っていっていた.なお,一部の裕福な商人は機械時計(和時計)を所有していた. 【江戸時代の最も精度の高い時刻制度】 加賀藩の城内で文政6年(1923)以降使用されたもので,秒単位まで測定できる垂揺球儀を使用し,その垂揺球儀の重りを利用して,1年を48の節気に分けた目盛盤で,時を表示した.さらに夜と昼用の和時計でも補った.垂揺球儀の時刻の校正は太陽の南中を利用した日時計で毎日行った.時計が狂う場合は垂揺球儀のふりこの長さを調節した.時は鐘でしらしめた. 参考文献
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