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日本で初めて時計が作られたのが記録に残っているのは,日本書紀で,天智天皇の時代の671年である.漏刻と呼ばれる水時計を作り,時が経つと鐘や太鼓を鳴らした.この日が現在の暦の6月10日に当たるので,この日が時の記念日となった.このころは1日を12分割し,十二支で呼んでいたようである.定時法か不定時法かはわからない. 奈良時代には漏刻は全国に数ケ所あったと思われる.時守(ときもり)がいて,太鼓で周知したことが万葉集の歌からわかる. 平安時代中期には延喜式が制定され(927),そこには暦と占い,時刻に関することを司る陰陽寮(おんみょうりょう)が規定され,ここにきちんとした時刻制度が登場した.時刻は漏刻(ろうこく)で測定したと思われる.そして,子,午の刻に九つ,丑,未の刻に八つ,寅,申の刻に七つ,卯,酉の刻に六つ,辰,戌の刻に五つ,巳,亥の刻に四つの鐘を打つように定められていた.この打ち数が江戸時代の時の呼び名の起源となった. 鎌倉,室町時代も同様であるが,戦乱が続く頃の記録は定かでない. 以上の中で時計としての漏刻はあるが,今,何時かを測る器具は登場しない.太陽を使用して,時刻を正したと思われるが,記録では不明である.なお,日時計が初めて記録に残るのは江戸時代初期である. |