■ 人名辞典【ま】 | ページ 1 - 2 |
□ マイケルソン Michelson, Albert Abraham (1852−1931)
アメリカの物理学者,気象学者.ノーベル物理学賞受賞者.ポーランドのボズナニ生まれ.1907年「光学装置と分光学・気象学研究」でノーベル物理学賞受賞.エーテルの運動の研究のため,モーリとともに,数度に渡り光速度測定実験を行う.これが有名なマイケルソン−モーレーの実験であり,その結果エーテルの存在は否定された.光速度を一定とするアインシュタインの相対性理論の端緒となった. なお,光速度測定実験を行う過程でマイケルソンはマイケルソン型干渉計を開発している.彼はこの干渉計を天体観測にも応用し,天体の直径の測定を行っている.また,長さのメートル単位を光の波長をもって定義し,メートル原器を廃止するように提案している. 参考文献
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□ マイヤー Mayer,Christian (1719‐1783)
チェコスロヴァキアのメデリツェンリンに生まれた.20代の前半に家を離れ,イエズス会に参加.マンハイムの修練所にはいり,ハイデルベルグで数学と物理学の教授に任命される.教帝クレメント14世イエズス会解散の命令の影響により解雇.1769年に金星の太陽面通過を観測.1776年二重星の研究. 参考文献
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□ マイヤー Mayer,Johann Tobias (1723‐1762)
シュトゥットガルト近くのマルバハに生まれた.建設図面と測量の技能を開発.1739年,軍の施設の設計図と図面を描いた.数学を独学.1746年,ニュルンベルクのホーマン地図局で仕事を始める.1750年,『1748年の宇宙誌の報告と集成』を編集し発表.この名声によって,ゲッティンゲンのゲオルグ・アウグスト・アカデミーで教授の地位を提供される.1762年,病死.築城の設計に関する本を出版し,数学を独学し,18歳で幾何の問題を解いた本を出す.月の理論に関心をもち高精度の月・太陽表を作り上げる. 参考文献
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□ マイヤー (1814−1878)
ドイツの物理学者,生理学者.月の重力が地球の回転を遅らせる力を及ぼすことを示す.太陽エネルギー源についての考察.エネルギー保存則の発見者. |
□ マウラー (1857−1938)
スイスの天文学者,気象学者.ドイツ生まれだが,すぐスイスに移住.放射の天文学から気象における放射にすすみ,全体放射と夜間の放射による熱の損失とをはっきりさせた. 参考文献
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□ マクリー McCrea,William Hunter (1904‐ )
ダブリンに生まれた.1926年,ケンブリッジのトリニティ・カレッジ卒業.1929年,ケンブリッジからPh.Dを取得.1930〜32年,エディンバラ大学で数学講師,ロンドンに移り,インペリアル・カレッジの数学部で講師と助教授,1936〜44年,ベルファストのクイーンズ大学の数学教授となる.1966年,ブライトンのサセックス大学で理論天文学の研究教授に任命され,1972年,名誉教授となる.王立協会のフェロー,王立天文学会のゴールド・メダルを受賞. 参考文献
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□ マクレア Maclear, Thomas (1797−1879)
イギリスの天文学者.1867年ラランド賞,1869年ロイヤル・メダルを得る.南アフリカ植民地の測量の基礎となる子午線測定を行う. 参考文献
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□ マゼラン Magellan, Ferdinand (1480?−1521)
ポルトガルの探検家.マゼラン星雲などに名前を残している. 1519年にスペインから5隻の船で世界一周探検に出発し,南アメリカ南端にマゼラン海峡を発見した.海峡を突破した後たまたま平穏な海に出会い,そこを太平洋と名付けた.このさい天の川がちぎれたような天体を「発見」し,後にマゼラン星雲といわれるようになった. マゼランはその後,グァム,フィリピンなどを訪れるが,1521年にフィリピンで現地人とのトラブルから戦争となりここで死亡している.最終的にはマゼランの船団の最後の1隻ビクトリア号がカノの指揮の元に地球一周をなしとげ,船団の発見などを西欧世界に伝えることになった. |
□ マックスキー McCuskey, Sidney W. (1907−1979)
銀河構造の観測的研究に功績のあったアメリカの天文学者. |
□ マックスウェル Maxwell, James Clerk (1831−1879)
イギリスの物理学者.媒質の力学的状態としての場の概念,媒質の変位電流概念,光の電磁波説の導入で有名.その他,土星の環の研究やボルツマンと共に気体の運動についての1854年にケンブリッジ大学の数学科を卒業し,1856年にアバーティーン大学の教授となる. 参考文献
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