■ 人名辞典【み】 ページ 

ミッチェル Mitchell, John (1724-1739)

イギリスの天文学者.恒星までの距離を光量に注目した統計学的方法で求めるなど恒星天文学において先駆的な業績を上げる.これは,ウィリアム・ハーシェルに影響をあたえた.地震の原因の研究と人工隕石の製造で有名.また,物理的に結びついた二重星(連星)の存在を統計的に推論した.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ミヌール Mineur, Henri (1899-1954)

恒星天文学の分野に功績を残したフランスの天文学者,数学者.銀河面からの距離に応じて,太陽系近傍の恒星の速度が変化すること,球状星団の回転の遅れを見出した.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ミンナルト Minnaert, Marcel Gilles Jozef (1893-1970)

オランダの天文学者.20世紀前半の太陽研究のパイオニアの1人.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ミュラー Muller,Johannes (1436-1476)

ケーニヒスベルクに生まれた.「ヨハネス・モリトリス・デ・キュニヒスベルク」Johannes Molitoris de Kunigsbergという名前で,1450年にウィーン大学に入学するまでのことは何も知られていない.15歳のとき,学士号を取得.1457年,ウィーン大学の天文学部に職を得る.1476年,病死.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ミラー Miller, William Allen (1817-1870)

イギリスの天文学者,化学者.分光学の研究に取り組み,太陽と火星,木星,月などが化学的に共通していると結論した.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ミラー Miller, Stanley Lloyd (1930-)

アメリカの化学者.原始地球大気に放電をすることでアミノ酸を生成できるというミラーの実験で有名.これは1953年,彼がシカゴ大学の学生だったときの研究である.ミラーの実験は,アンモニアとメタンに水素と水蒸気を含む混合気体を作り,これをフラスコに満たして,何日間も高圧放電を行う.その後,フラスコに残った液体の成分をペーパークロマトグラフィーで分析してみたところ,さまざまな有機化合物を確認した.このなかにアミノ酸の一種であるグリシンとアラニンの生成も確認された.アミノ酸は生体を形作るタンパク質の素になる物質であるので,これをもって生命が自然に発生することの証拠であると考えられた.しかしアミノ酸からタンパク質が生成するためには,さらに様々な条件が必要であり,これだけではまだ不十分であることも示唆されている.

ミラーははじめカリフォルニア大学,後にシカゴ大学に移ってユーリーに師事し1954年の博士号を取得.1960年,カリフォルニア大学教員.1968年に同化学教授となる.

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参考文献

「科学者人名辞典」丸善


ミルン Milne,Edward Arthur (1896-1950)

ヨークシャーのハルに生まれた.1914年,ケンブリッジのトリニティ・カレッジに進学.1916年,軍需品発明部の対航空機実験部門で働く.1919年,トリニティ・カレッジのプライズ・フェローに選ばれ,ケンブリッジの太陽物理観測所の副所長となる.1921〜24年,天体物理学講師,1924〜25年,数学講師をつとめ,マンチェスター大学に移り,応用数学の教授となる.1926年,王立協会のフェローに選ばれる.1929年,オックスフォード大学の数学のラウズ・ボール教授となり,ワドハム・カレッジのフェローに選ばれる.1939〜44年,軍需品委員会のメンバーをつとめる.1950年,突然死.主な業績として恒星内部構造論の研究がある.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ミンコフスキー Minkowski Hermann (1864-1909)

ドイツの数学者.数の幾何学で有名.n次元空間の幾何学的研究.4次元の時空を初めて考え,のちに相対論の発展の柱となる.

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ミンコフスキー MinkowskiMinkowskyRudolph Leo (1895-1976)

ストラスブールに生まれた.ブレスラウ大学に入学.1921年,光学のPh.Dを取得.ゲッティンゲンで物理学の教員,ハンブルク大学の物理学教授となる.1935年,アメリカに移住.カリフォルニアのウィルソン山天文台に研究助手となる.1959年,ウィルソン山とパロマ天文台から引退.ウィスコンシン大学で1年を過ごし,カリフォルニア大学バークリー校で5年間を過ごしたあと,1965年,再び引退.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


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