■ 人名辞典【れ】 ページ 

レイタ Rheita,Anton Maria (1597-1660)

ボヘミア生まれの天文学者,光学者.イタリアで死去.「接眼レンズ」「対物レンズ」という言葉を作る.主著は「Oculus Enochet Eliae」

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レギオモンタヌス Regiomontanus Johannes (1436-1476)

ドイツの天文学者.ケーニヒスベルク生まれ.位置推算暦(1475-1506年用)を初めて出版し,経度決定を可能にし,これをコロンブスが用いた.

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レクセル  Lexell, Andres Johan (1740-1784)

スウェーデン生まれの天文学者.金星の太陽面通過から,太陽視差を算出.

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レスビーギ Respighi,Lorenzo (1824-1889)

イタリアの天文学者.15年間太陽スペクトルの研究をし,吸収スペクトル線の分離に成功.対物プリズムを恒星スペクトルの観測に初めて使用.微積分の原理についての論文もある.

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レッドマン Redman,Roderick Oliver (1905-1975)

グロスターシャーのロドブラに生まれた.18歳のときケンブリッジ大学の奨学金を取得.1929年,天文学のPh.Dを取るために大学の天文台で研究,博士号を取得.一方,ドミニオン天体物理観測所で補佐天文学者として働く.翌年,ケンブリッジ太陽物理観測所の所長補佐.1937年,ラドクリフ天文台の主任助手.1947年,再びケンブリッジに戻り,天体物理学教授および天文台長となる.新しく合併された天文台と理論物理学研究所の所長となる.王立協会特別会員.

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レティクス Rheticus,George Johachim (1514-1576)

ドイツの数学者,天文学者.コペルニクスの最初の弟子,紹介者.1542年「天球の回転」を出版.当時数少ない太陽中心説の支持者であった.

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レイリー Rayleigh, John William Strutt, third Baron (1842-1919)

イギリスの物理学者.ノーベル物理学賞受賞者.音響学,光学の研究者として知られる.空が青く見えることを説明するレイリー散乱の方程式をうち立てた.また,空気中の窒素が化合物から得た窒素からわずかに軽いということから,ラムゼーとの共同研究でアルゴンを発見し,その業績で1904年にノーベル物理学賞を受賞した.

レイリーは1865年ケンブリッジ大学を卒業.1871年に大学を離れ,1873年に爵位を譲位される.1879年〜1884年はケンブリッジ大学のキャベンディッシュ実験物理学教授.ほかの時期は,私設研究所で研究に励んだ.

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参考文献

科学者人名辞典編集委員会「科学者人名辞典」丸善


レーマー Romer,Ole(Olaus)Christensen (1644-1710)

デンマークの天文学者.木星の衛星の食の予報と観測時刻とのずれを使った光速度測定方法を発案.ユトランドのオールフスに生まれた.コペンハーゲンで教育を受け大学に進学.1671年ピカールと共同研究をした.パリのアカデミーで研究員となる.皇太子の家庭教師にもなる.1681年,デンマークに戻り,クリスティアン5世の王室天文官とコペンハーゲンの王立天文台の台長となる.市長になるなど政治家としても活躍している.

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レーバー Reber,Grote (1911-  )

アメリカの無線技師.ジャンスキーによる宇宙電波の発見に刺激されて,アマチュアながら電波天文学のパイオニアとなる.1940年代における世界唯一の電波天文学者といえる.

イリノイのホイートンに生まれ,イリノイ工科大学で学び,電波技師となる.自宅の裏庭に直径9mの大型パラボラアンテナを建設し,銀河の電波の強度図をつくる.1939年に宇宙電波の観測に成功する.1947年彼の望遠鏡をイリノイからヴァージニアに移し,そこで大学の実験マイクロ波電波部門の主任となる.1954年,オーストラリアへと移り,タスマニアの連邦科学産業研究機構に参加.1957年グリーンバンクの国立電波天文台に43mの電波望遠鏡を設置するためにアメリカにいき,再びマッピング計画の完成を助けるためにタスマニアに戻っている.

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レプソルト Repsold,Johann Adolf (1838-1919)

ドイツの機械製作者.1879年に時間調整メカニズム用のバネ振子を発明.エディンバラの274p望遠鏡,オックスフォード天文台にヘリオメーター,リスボン天文台に244p望遠鏡を作る.

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