中世アラビアの天文学 Arabian Astronomy in the middle age

ギリシャの科学は中世ヨーロッパでは維持されなかったが,シリアやペルシャで大事にされ,そこを征服したアラビアでも継承された.アラビアは科学の原典をギリシャに求め,それを発展させ,近世ヨーロッパに伝えたところに功績がある.

アラビアでは各地に天文台が建てられ,観測が行われた.8世紀後半にはアル・ファザーリーはインド天文学書をアラビア語に翻訳した.9世紀にはギリシャ語の翻訳がなされ,10世紀にはアル・バッターニはプトレマイオスの天文学書を完全に理解し,翻訳した.そのころから,プトレマイオスの知識を上回るようになり,観測から黄道傾斜角,遠地点の位置,太陽の離心率,歳差の値等の天文表の数値を改良した.1000年頃には三角関数の研究を行い,三角関数表を作った.14世紀にはアッ・シャーティルが全ての惑星の運動を合理的に表すために,惑星の動きを完全な等速運動をする円の組合せ(周転円)で表現するようになった.このモデルはコペルニクスのモデルと非常によく似ている.

中世アラビアの天文学の特徴は三角法の発展にある.ギリシャの「弦の表」はインドでは「半弦の表」となり,sinの関数表ができていたが,アラビアでは精度が高くなるだけでなく,cos,tan,cotの表も作成された.13世紀にはナシル・アッ・ディーンは球面三角を取り扱った.

参考文献

ダンネマン,大自然科学史3,1978,p.1-37,三省堂
矢島祐利,アラビア科学史序説,1977,p.88-93,岩波書店
矢野道雄,天文学史,1982,p.62-70,恒星社