中世アラビアの天文表 Arabian Astronomical catalogue in the Middle

アラビアでは天文表が多く作られた.特に恒星表に自分の名前をつけるのが王としてのたしなみという風潮があった.アッバース朝のアル・マムーン(813-833)時代にバクダッドに天文台が設けられ,学校や図書館が建てられた.特に各種の国語に通じた学者が集められ,アリストテレス等の著書の翻訳がなされた.アル・フラガーニが「マムーン表」を,ファーティマ朝アル・ハーキム(996-1021)時代にはイブン・ユーヌスが太陽・月・惑星の運動に関する「ハーキム表」を作った.これらは独自の観測による恒星表であった.アル・バッターニは489個の星の恒星表を作った.アル・スーフィーは独自の観測で1022個の恒星表を作った.
13世紀にはナシル・アッ・ディーンはマラガ天文台で「イル・ハーン表」を作った.1420年,ウルグ・ベクがサマルカンド(現ウズベキスタン)に天文台を建てた.この天文台では恒星の位置,光度が測定された.その恒星表1018個の内900個は独自の観測によるもので,サマルカンドで観測が困難なものだけ「アルマゲスト」に修正を加えて,記載されている.観測は木製象限儀で行われた.この「ウルーグ・ベク表」はケプラーの時代まで使用された.この恒星表はサマルカンド天文台の歴代台長によって作成された.それはギヤース・アッ・ディーン・ムーサー,サラフ・アッ・ディーン・ムーサー,アリー・ビン・ムハムマド・クーシジーである.

参考文献

ダンネマン,大自然科学史3,1978,p.1-37,三省堂
矢島祐利,アラビア科学史序説,1977,p.88-93,岩波書店
矢野道雄,天文学史,1982,p.62-70,恒星社