スペースシャトル計画

正式にはSpace Transportation Systemといい,1981年に初飛行を行ったアメリカの多目的な2〜7名乗り有人宇宙輸送機計画.現在も続行中.飛行機型の有人の貨物宇宙船(通称スペースシャトル)をロケットにつけて打ち上げ,高度200-600kmを周回しながら実験や衛星打ち上げなどを行う.貨物宇宙船は大気圏再突入して地上に帰還し,再利用される.

最初のオービター,コロンビア号は,1981年4月12日,ケネディ宇宙センターからJ.ヤング,R.クリッペンの2名をのせて打ち上げられ,2日と6:21飛行し,エドワーズ空軍基地に帰還した(STS-1).その後,休止期間をのぞいて年に2〜9回打ち上げられている.オービターの2号機はチャレンジャー号で1983年4月STS-7が初飛行.3号機はディスカバリー号で1984年8月STS41-Dが初飛行.4号機アトランティス号は1985年10月STS51-Jが初飛行.最後のオービター,エンデバー号は1986年の事故で失われたチャレンジャーの代わりで1992年5月STS-49が初飛行.

これまでに初の軌道上の修理(STS41-C,1984年),初の民間人宇宙飛行士(STS-41D,1984年),ハッブル宇宙望遠鏡(STS-31,1990年),木星探査機ガリレオ(STS-34,1989年),金星探査機マゼラン(STS-30,1989年)打ち上げ,SDI実験など様々な飛行が行われたが,1986年1月28日のSTS51-Lチャレンジャー号は打ち上げ73秒で爆発し,7名という宇宙開発史上最大の死者を出す事故となり,その後2年8ヶ月シャトルの打ち上げは中断された.再開は1988年9月STS-26ディスカバリー号.再開後は年6〜8回のペースで打ち上げられており,1999年3月打ち上げのSTS-92で92回目の打ち上げとなる.

日本の宇宙飛行士は,宇宙開発事業団の毛利衛がSTS-47(1992年9月),向井千秋がSTS-65(1994年7月)とSTS-(1998年10月),若田光一がSTS-72(1996年1月)で,土井隆男氏がSTS-87(1997年11月)で飛行している.

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参考文献

Jane's「Spacecraft Directory」Interavia
宇宙開発事業団編「NASDAノート95」宇宙開発事業団