ガリレイは1632年に「天文対話」を出版したが,それが教会の禁じている地動説を擁護していると糾問され,宗教裁判にかけられた.1600年には同じ罪でイタリアのブルーノが火あぶりの刑に処せられている.1633年,ガリレイは我が身を守るため,ローマの法廷でコペルニクス説を呪い,嫌うことを宣誓した. そ の後,ガリレイは幽閉の身となったが,それでも研究を続け,月の秤動を発見した.
ダンネマン「大自然科学史4」1978,三省堂 ほか