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17世紀後半は彗星の軌道がどのようになっているかが議論の的となった.イタリアのボレリは1664年の彗星の軌道計算を行い,彗星が楕円軌道を描いていることを明らかにした.さらに,プティも楕円軌道であることを提唱し,ドルフェルは1680年に出現した彗星が放物線軌道であることを明らかにした. ハレーはニュートンと相談し,1682年に出現した彗星の軌道,さらに以前に出現した彗星の軌道を計算し,似たような軌道の彗星が1531年,1607年に出現していることを発見し,これらが周期約75年の同一の彗星であると結論した.そして,1758年に出現することを予言した.ハレーはこの彗星の出現を見る前に死亡したが,1758年のクリスマスの夜,ドレスデンに住む熱心なアマチュア天文家のパリッチが予言通りに彗星を発見した.当時,彗星は1682年彗星と呼ばれたが,この彗星だけはハレーの予言にちなんで,ハレー彗星と呼ばれた. 参考文献
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