■ 人名辞典【ほ】 ページ  - -

ボグスラフスキー Boguslavsky, Palm Heinrich Ludwig von (1789−1851)

ドイツの天文学者.彗星の軌道,隕石群,惑星,日食の観測・計算に関わり,ベルリンアカデミー星図に寄与した.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ボクセンバーグ Boksenberg,Alexander (1936‐  )

ロンドンのステーショナーズ・カンパニーズ・スクールで学ぶ.ロンドン大学で物理学の理学士号を取得.1957年,ロンドンのユニヴァーシティ・カレッジで研究を開始.1961年,Ph.Dを取得.ユニヴァーシティ・カレッジの研究グループに参加.1965年,物理学の講師となる. 1969年,ユニヴァーシティ・カレッジで研究グループを組織.1975年,物理学講師に昇進.1976年,英国科学学術会議の最初の主任研究員,1978年,物理学教授,王立協会の特別会員となり,1981年,王立グリニジ天文台の台長に任命される.カリフォルニア工科大学の準教授,サセックス大学とロンドンのユニヴァーシティ・カレッジの客員教授でもある.1982年,パリ天文台の名誉博士号を贈られた.

主な業績として,映像増倍管を用いた光子計数式画像検出装置(ボクセンバーグ・カメラ)の開発,紫外線天文衛星(TD1)の装置開発がある.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ポセイドニオス Poseidonius (BC135頃〜 BC51頃)

シリア生まれのギリシャの哲学者.太陽の直径や,太陽と月の地球からの距離を推定.地球の子午線の周も測定.朝夕現象の原因は月にあるとした.また観測について初めて大気差を考慮した.さらに,占星術の普及者としても知られる.プラトンはこれを指示し,ユードクソスは否定したと伝えられる.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アシモフ「科学技術人名事典」共立出版


ボスコビッチ Boskovic, Rudjer Josif (1711−1787)

イタリアの天文学者,物理学者.1758年「自然哲学の理論」.物質を力の中心点に還元し,その及ぼす引力で自然現象を説明する力の普遍法則を考えた.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ボス Boss,Lewis (1846−1912)

アメリカの天文学者.基本星の位置と固有運動についての長期にわたる研究.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ボジャール Bochart, de Sarom Jean-Baptiste Gaspard (1730−1790)

フランスのアマチュア天文家,法律家.メシエの観測にもとづいて,彗星の軌道計算をボスコビッチの方法を改良して行う.ハーシェルの発見を検討してそれが彗星でなく新惑星であること示すのに貢献.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ボーデ Bode,Johann Elert (1747‐1826)

ハンブルクに生まれた.1772年,ベルリン・アカデミーに参加.1776〜1829年のすべての年鑑作成に従事.1786年,アカデミーの天文台台長,1784年,王室天文官に任命される.1825年,天文台の台長を退職.1772年太陽系の惑星の距離についての「ティティウス=ボーデの法則」.天王星(ウラヌス)の命名者.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ホフマイスター (1895−1968)

東ドイツの天文学・天体物理学者.夜光天,変光星,流星など広い分野の観測.光学機械装置の発案.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ホール Hall,Asaph (1829‐1907)

火星の衛星の発見者.1877年8月16日および17日,2個の衛星を発見確認し,火星の名・軍神アレス(ローマ神話マルス)の2人の子の名からフォボス,ディモスと命名した.

コネティカットのゴシェンに生まれた.1854年,ニューヨークのマグローヴィルのセントラル・カレッジに入学.1856年,結婚.マサチューセッツのケンブリッジのハーヴァード・カレッジ天文台の職につく.1862年,ワシントンのアメリカ海軍天文台の天文学者助手,教授となる.1877年,ラランド賞,1879年,王立天文学会のゴールド・メダル,1893年,アラゴー・メダルを受賞.1875年,全米科学アカデミーの会員に選出.庶務担当理事,副会長をつとめる.1902年,アメリカ科学振興協会の会長,1897〜1907年,『アストロノミカル・ジャーナル』の副編集長をつとめる.1891年,アメリカ海軍天文台を退職.1898年,ハーヴァードで教鞭を取る.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ホルン・ダルトウーロ Horn DArturo, Guido (1879−1967)

イタリアの天文学者.トリエステ生まれ.多くの変光星,ガス状星雲,惑星状星雲,球状星団等を観測.恒星と星雲の分布を調査し,黒滴現象を究明.

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ボリャイ  Blyai Janos(1802−1860)

ハンガリーの数学者.ルーマニアのクルージに生まれる.父親も数学者でガウスの友人だった.ロバチェフスキーとは独立に1831年非ユークリッド幾何学を説明している.

ウィーンの工兵学校を経て陸軍に入り,バイオリンと決闘の名手だったとも伝えられる.1825年〜26年にかけてロバチェフスキーと同じ発想をし,非ユークリッド幾何学を展開した.

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参考文献

アシモフ「科学技術人名事典」共立出版


ホールデン Holden, Edward Singleton (1846−1914)

アメリカの天文学者.セント・ルイス生まれ.「天文学概論」等の他各種の分野にわたる著書多数.サイモン・ニューカムと共に新設の65cmの屈折望遠鏡で星雲,太陽,天王星・海王星の衛星などを観測.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


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