■ 人名辞典【せ】 ページ 

セイファート Seyfert,Carl Keenan (1911‐1960)

オハイオのクリーヴランドに生まれた.1933年,ハーヴァード大学卒業.BSc,MA,Ph.D取得.1940年,ナショナル・リサーチ・フェローとしてウィルソン山天文台に加わる.1946〜51年,バーナード天文台の台長,それからヴァンダービルド大学の天文学教授となり,アーサー・S・ダイヤー天文台の台長となる.国防研究委員会のメンバー,国際天文学連合とアメリカ天文学会のメンバー,王立天文学会のメンバーとなる.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」


セーガン Sagan,Carl Edward (1934‐1996)

ニューヨークに生まれた.シカゴ大学卒業.1955年に学士号,1960年に博士号を取得.カリフォルニア大学バークリー校のリサーチ・フェロー.その後,マサチューセッツ,ケンブリッジにあるスミソニアン天体物理観測所に移り,ハーヴァードで講義を行う.ハーヴァードの助教授をへて,1968年,最終的にイサカのコーネル大学へ移り,惑星研究所所長となる.1970年から,ハーヴァード大学の天文学と宇宙科学教授を勤めた.マリナーヴァイキングヴォイジャーなどNASAの惑星探査機計画で指導的な役割をはたした.さらに,文学者・科学普及家としても活躍し,主な著書に「コスモス」「サイエンス・アドベンチャー」「コンタクト」「惑星へ(Pale Blue Dot)」などがある.「エデンの恐竜」では優れたジャーナリズム作品に贈られるピューリッツァー賞も受賞している.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」


セッキ Secchi,Pietro Angelo (1818-1878)

イタリアの天文学者.イエズズ会の神学と天文学を学び,1839年,コレジオ・ロマーノで物理学と数学の講師となる.1848年,追放.イギリスのストーニー・カレッジに行き,それからワシントンDCのジョージタウン大学へ行き,数学と科学の研究を続け,1849年,コレッジョ・ロマーノのグレオニア大学天文台の台長と天文学教授となる.1849年にローマにもどりローマ大学天文台の台長となる.1851年にダゲレオタイプの日食写真を撮影.太陽大気,コロナの研究を行った.1856年,王立協会のメンバーとなった後,1868年に恒星を4つのスペクトル型に分類した.彼は4000個の恒星を分類したといわれる.星雲の分類も行い,輝線からガス星雲の存在を確認した.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


セベリン Severin,Christian (1562-1647)

デンマークの天文学者.ロンゴモンタヌスともよばれた.ティコ・ブラーエの助手で,1607年にコペンハーゲン大学の数学,天文学の教授となる.ティコのデータから惑星の運動論を発表したが,地動説も惑星の楕円軌道も認めなかった.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


セーマン Zeeman, Pieter (1865-1943)

オランダの物理学者.ノーベル物理学賞受賞者.

ゼーマンの最大の業績は,ある種の元素のスペクトル線の光路に垂直な磁場をかけると3本に分離する「ゼーマン効果」の発見である.これは,1896年,量子論が展開される前の発見であった.その他物質中の光速を測定し,光速が波長と関係しているというローレンツの予測を確認,1918年には重力質量と慣性質量の等価性を確立,アインシュタインの一般相対性理論の等価原理を再確認した.

ゼーマンはライデン大学で学び1893年に博士号を得る.1902年には磁気・光学効果の研究によってローレンツとともにノーベル物理学賞を受賞した.

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参考文献

「科学者人名事典」丸善


ゼーリガー Seeliger,Hugo von (1849-1924)

ドイツの天文学者.ライプツィヒ,ボンの天文台をへて1882年ごろミュンヘン大学教授となる.恒星の絶対等級と見かけの等級の関係を述べ,恒星の空間分布を調べて銀河系の構造論を作った.ユークリッド空間では宇宙の安定性を証明できないとのべ,宇宙論の研究に刺激を与えた.ドイツ天文学会会長も勤めた.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


セルシウス Celsius,Anders (1701-1744)

スウェーデンの天文学者.摂氏温度目盛りで知られる.ウプサラ大で天文学,数学を学び,1730年に同大天文学教授となった.1740年にフィルターを使っておうし座の恒星の温度測定を行った.1742年に水の沸点と融点の間を100に分けて目盛りをふったが,その0と100を逆にした温度計が1747年にウプサラ天文台で採用された.現在使われている摂氏(セルシウス氏)温度とはこれのことである.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


ゼリドヴィッチ Zel'dovich,Yakov Borisovich (1914‐  )

ミンスクに生まれた.1931年,レニングラード大学卒業.同時に,ソヴィエト科学アカデミーの化学物理学研究所で研究を始める.1946年に科学アカデミーの通信会員となり,1958年に正式の会員となる.1943年,スターリン賞受賞.現在,モスクワのソヴィエト科学アカデミーの宇宙研究所で研究をしている.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典


セントジョン St.John,Charles Edward (1857-1935)

アメリカの太陽物理学者.オーバリン大学理工学部長になった後1908年ウィルソン山天文台に入った.黒点と白斑の研究を行い,1928年ローランドの太陽スペクトル吸収線表を改定したことで知られる.太陽スペクトルの相対論的偏光の研究も行った.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社
アボット編「世界科学者事典」原書房,他


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