ケプラーの法則の発見 Discovery of Kepler's Law

1599年,ケプラーはプラハにいた偉大な天体観測家のティコ・ブラーエに招かれた.そして,ティコの死後,おもに彼の火星の観測を整理に着手し,死後の混乱の中で,正確な惑星表を作成すること,コペルニクスの説に調和する惑星運動の理論を確立することを目標とし,研究を続けた.そして,彼はこの二つを解決しただけでなく,数学,光学の分野でも貴重な業績をあげた.彼は天体が円形を描くという当時の常識を覆し,楕円軌道を描くことにすれば,火星の運動がうまく説明できることに気づき,1609年と1619年にケプラーの3法則と呼ばれる法則を発見した.そして,これらの本質はニュートンにより解明された.

ケプラーは他にも1604年に出現した超新星を観測したり,光の屈折の研究を行い,凸レンズと凹レンズの組み合わせによるケプラー式望遠鏡の最初の理論を与えた.さらに1627年には惑星の位置を計算した「ルドルフ星表」を出版した.この星表はその後,1世紀にわたって使用された.

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参考文献

ダンネマン「大自然科学史4」1978,三省堂