古代の天文学 history of ancient astronomy

古代の天文学は太陽の動きと四季の循環,月の満ち欠けと動き,日食と月食,惑星の動きを体系化させたものである.

古代エジプトでは5つの惑星の発見,太陽が昇る直前に薄明によって星が消える時に星が地平線上に姿を現す瞬間(ヘリアックの出)を観察することにより,1年の長さを知っていた.エジプトでは太陽暦が採用された.エジプトの天文学参照.

紀元前2000年頃から紀元前400年頃までバビロニアで行われた天文学は当時としては数学に裏打ちされた高度なもので,後のギリシャ文明に引き継がれた.バビロニアでは太陰太陽暦が採用された.太陽,月,五惑星の運行を,定量的に記載するようになり,お互いの基本的な周期関係,黄道12宮,星座の知識もギリシャに伝えられ,今日の星座の起源となった.バビロニアの天文学参照.

インドではインダス川流域で文明が発祥したが,外国の天文学を受け入れることが多かった.一方,中国では紀元前14世紀の殷の国の甲骨文に暦日資料がある.このころには29日の小の月と30日の大の月があり,年末に閏を置いた.未完成ではあるが,太陽大陰暦が使用されていた.また,日を記録するのに60をサイクルとする干支が使用され,10日ごとにそれを区切って,「旬」と呼んでいた.中国の日食,月食の観測記録で最も古いものは紀元前776年8月の月食と同じ年の9月の日食で,これはバビロニアでの記録より,各々55年,13年早い.また,紀元前1000年には天空を28の区域に分けた二十八宿が作られ,紀元前4世紀頃には星表が作られた.

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参考文献

ダンネマン,1977,大自然科学史1,P72-76,三省堂
桜井邦朋,1990,天文学史,P22-25,朝倉書店
矢野道雄,1982,天文学史,P34-35,恒星社厚生閣
薮内清,1990,中国の天文暦法,P3-30,平凡社