宇宙開発史関連年表

宇宙への憧れをロケットで理論的に考えた時代

1857安政4年宇宙旅行の父,ツィオルコフスキー,ロシアで生まれる
1865慶応元年フランスのジュール・ベルヌ,SF小説「地球から月へ」を著す.各国語に翻訳されて大きな影響を及ぼす.後の宇宙開発のパイオニア達はみな読者だった
1866慶応2年ツィオルコフスキー,しょうこうねつのため聴力を失う,その後は独学で数学と物理学を学ぶ
1878明治11年ツィオルコフスキー,数学教師になる
1881明治14年ツィオルコフスキー「気体の運動学的理論の原理」を著す.物理・化学協会の会員となる
1882明治15年近代ロケットの父,ゴダード,アメリカで生まれる
1883明治16年ツィオルコフスキー「自由空間」を著す
1885明治18年ツィオルコフスキー,飛行船の研究を始める
1891明治24年ツィオルコフスキー,飛行機の論文を発表
1892明治25年ツィオルコフスキー「月の上で」を著す
1894明治27年ツィオルコフスキー「地球上の相対重力の変化」を著す
オーベルト,オーストリア(現ルーマニア)で生まれる
1895明治28年ツィオルコフスキー「地球と宇宙に関する幻想」を著す.液体水素と液体酸素を推進剤とするロケットのアイデアを示す
1896明治29年ツィオルコフスキー「地球の外で」を著す.現在もロケット設計に使用されているツィオルコフスキーの法則・噴射ガスの速度が大きいほど,そしてロケットの点火時と燃焼終了時の質量比が大きいほど大きな速度が得られることを示す公式を示す
1902明治35年ツィオルコフスキー,ロシア政府より研究費を受け,風洞実験を行う
1903明治36年ツィオルコフスキー「ロケットによる宇宙空間の研究」を著す
ライト兄弟,はじめて飛行機による飛行に成功
1911明治44年ゴダード,クラーク大学で博士号を取る
1912大正元年ゴダード,プリンストン大学で実験物理学の研究者に
フォン・ブラウン,ドイツで生まれる
1913大正2年オーベルト,ミュンヘン大学医学部に入学
1914大正3年第一次世界大戦始まる
1915大正4年ゴダード,クラーク大学助教授に
1917大正6年ロシア革命おこる
1918大正7年第一次世界大戦終わる
オーベルト,ミュンヘン大学工学部に入学
1919大正8年ゴダード「ひじょうに高い高度に到達する方法」を著す
1923大正12年オーベルト,大学を卒業,数学教師になる
オーベルト「惑星間空間へのロケット」を出版

液体燃料ロケット技術の創成期

1926大正15年ツィオルコフスキー「ロケットによる宇宙空間の研究」改訂増補版出版
3月16日,ゴダード,ツィオルコフスキーの理論を参考に世界初の液体燃料ロケット打ち上げ実験に成功,飛行時間2.5秒,最高速度秒速12m,到達水平距離56m,平均速度時速100km
1927昭和2年オーベルトら,ドイツで「宇宙旅行協会」を結成する
1929昭和4年ツィオルコフスキー,多段式ロケットの理論を発表
オーベルト「宇宙旅行への道」を著す
このころ,「宇宙旅行協会」が液体燃料ロケットの実験を行う

ロケットが軍事技術として研究開発された時代

1930昭和5年ゴダード,ロスウェルの陸軍実験場で打ち上げ実験を始める
フォン・ブラウン,「宇宙旅行協会」の実験に参加
ナチス党がドイツの政権に進出
1932昭和7年フォン・ブラウン,ドイツ陸軍に雇われる
ツィオルコフスキー,75歳の誕生日に労働赤旗勲章を受ける
1933昭和8年ツィオルコフスキー,液体燃料ロケットエンジンOR−2を作る
1934昭和9年フォン・ブラウン,ドイツ陸軍でA−2ロケットを作る
ガガーリン,ソ連邦ロシアで生まれる
1935昭和10年ツィオルコフスキー亡くなる
1937昭和12年ドイツ陸軍のロケット研究所がペーネミュンデに開設される
1938昭和13年オーベルト,ウィーン工科大学にまねかれる
1939昭和14年第二次世界大戦はじまる
1941昭和16年独ソ戦はじまる,太平洋戦争はじまる
1942昭和17年A−4飛行実験
1943昭和18年A−4弾頭実験
スターリングラードでドイツ軍敗走
ヒットラー,A−4の大量生産を決定
ペーネミュンデ,連合軍の大空襲で破壊される
1944昭和19年フォン・ブラウン,ゲシュタポに拘束される
A−4からV2へ改造され,ロンドンへ向けて発射されるV2は全長14メートル,直径1.65メートルで,飛行距離は約310キロメートル1500発を超えるV2が,イギリスに向けて発射され,死者2724,重傷者6467

冷戦と共に東西世界に分かれたロケット技術

1945昭和20年ホワイトサンズにアメリカ軍のロケット実験場が設けられる
ゴダード亡くなる
広島・長崎に原子爆弾,第二次世界大戦終わる
英軍で2発のV−2発射実験を行う
1946昭和21年ホワイトサンズでV−2の発射実験を行う
1947昭和22年アメリカ,ベルXS−1,音速を超える(マッハ1.06)
1949昭和24年ノースアメリカンX-15が完成,航空機としては最高の速度であるマッハ6.7を記録高度も最高107.8キロメートルまで上昇
ガガーリン,モスクワで農機具工場の鋳造工になる
1950昭和25年フォン・ブラウン,アメリカに帰化する
1953昭和28年フォン・ブラウン,レッドストーン・ロケットを完成
1954昭和29年オーベルト「宇宙空間の中の人間」を著す
1955昭和30年ガガーリン,航空士官学校に入学
日本初のロケット実験(東大ペンシルロケット)

スプートニク・ショックと共に始まった米ソの宇宙開発競争の時代

1957昭和32年国際地球観測年
フォン・ブラウン,アメリカ陸軍のジュピターCロケットを完成
10月4日,ソ連は世界最初の人工衛星,スプートニク1号の打ち上げに成功
アメリカは海軍のバンガードロケットで人工衛星の打ち上げに失敗
1958昭和33年アメリカ初の人工衛星,エクスプローラー1号,ジュピターで打ち上げに成功
NASA(アメリカ連邦航空宇宙局)が組織される
アメリカ,月ロケットを4機打ち上げ,いずれも失敗
1959昭和34年ソ連邦,月ロケットを3機打ち上げ,うち1機は月の裏側の撮影に成功
1960昭和35年初の実用衛星であるタイロス1号(気象衛星),アメリカが打ち上げ
1961昭和36年ソ連邦,初の金星ロケットを打ち上げ(観測には失敗)
4月12日,ソ連邦のガガーリン,ボストーク1号に乗り世界初の宇宙飛行に成功
アメリカのアラン・シェパード,マーキュリー宇宙船で弾道飛行
ケネディ大統領「1960年代中に月に人類を送り込む」と演説
アメリカ,月面撮影を目的としたレインジャー計画スタート
1962昭和37年ジョン・グレン,マーキュリー計画によるアメリカ初の軌道飛行に成功
通信衛星テルスターが打ち上げられ,大西洋横断テレビ中継に成功
ソ連邦,火星1号の打ち上げに成功(観測には失敗)
アメリカ,金星探査機マリナー2号打ち上げ(観測には失敗)
1963昭和38年初の静止軌道通信衛星シスコム打ち上げに成功,太平洋横断テレビ中継に成功
ソ連邦,ボストーク5号・6号,相次いで打ち上げに成功
6号には初の女性宇宙飛行士バレンシナ・テレシコワが搭乗
1964昭和39年アメリカ,レインジャー7号を打ち上げ,月の近接撮影に成功
ソ連邦,3人乗りの宇宙船ボスホート1号の打ち上げに成功
アメリカ,火星探査機打ち上げ失敗
1965昭和40年ソ連邦,2人乗りの宇宙船ボスホート2号の打ち上げに成功レオノフは初の宇宙遊泳を行う
アメリカ,2人乗りの宇宙船ジェミニ4号を打ち上げ,ホワイト宇宙遊泳
アメリカ,ジェニニ6号と7号のランデブーに成功
1966昭和41年ソ連邦,ルナ9号の月面軟着陸に成功
ソ連邦,ルナ10号が月の孫衛星となる
アメリカ,ルナオービター計画(月周回衛星),サーベイヤー計画(月面軟着陸)スタート
1967昭和42年アポロ宇宙船,打ち上げ訓練中に火災事故,3人の宇宙飛行士が死亡
1968昭和43年アポロ宇宙船,打ち上げ実験成功,地球周回軌道上での実験にも成功
アポロ8号,有人宇宙船として月の周回に成功
1969昭和44年7月20日,アポロ11号,月着陸に成功
1970昭和45年アポロ13号,月に向かう途中で酸素タンク破裂事故,無事に生還
ソ連邦,月へ無人探査機を着陸,月の土壌のサンプルリターンに成功
ソ連邦,金星にベネラ7号を軟着陸に成功,表面温度470℃
日本初の人工衛星おおすみ打ち上げに成功,ソ・米・仏に次いで世界で4番目
1971昭和46年ソ連邦,世界初の宇宙ステーション・サリュートを打ち上げ
アポロ15号,月面車を月面に持ち込む
ソ連邦,サリュートから戻るソユーズ宇宙船で事故,宇宙飛行士3人が死亡
1972昭和47年アポロ計画17号で終了,計12人の宇宙飛行士が月面を探査.アメリカ惑星探査機パイオニア10号打ち上げ
1973昭和48年アメリカ,宇宙ステーション・スカイラブを打ち上げアメリカ惑星探査機パイオニア11号打ち上げ
1975昭和50年アメリカ,ソ連邦,アポロ・ソユーズ共同飛行を実施,7月17日ドッキングに成功,合金作りの共同実験など
アメリカ,火星探査機,ヴァイキング1号・2号を打ち上げ,翌年に火星軟着陸に成功
1977昭和52年アメリカ,ヴォイジャー1号,2号を打ち上げ,80年代に相次いで木星・土星・天王星・海王星を探査に成功
1979昭和54年宇宙ステーション・スカイラブ落下
1981昭和56年アメリカ,初の宇宙往還機スペースシャトルの飛行に成功,この年2回飛行
1982昭和57年スペースシャトル3回打ち上げ,実用飛行に入る
1983昭和58年スペースシャトル4回打ち上げ,人工衛星の放出に成功
1984昭和59年ハレー彗星探査機,1985年にかけて,ソ連2機,日本2機,ヨーロッパ連合1機の計5機が相次いで打ち上げ
スペースシャトル5回打ち上げ,初の命綱なし宇宙遊泳,初の軌道上での衛星修理,軌道上から地球への衛星回収にも成功
1985昭和60年スペースシャトル9回打ち上げ,同時に3つの衛星の放出やインシュリンの合成,人工雪の結晶実験などを行う
1986昭和61年スペースシャトル2回打ち上げ,2回目の1月28日,チャレンジャー号爆発事故,搭乗員7名死亡
1987昭和62年ソ連邦,宇宙ステーション・ミールのサービス・モジュール打ち上げ
1988昭和63年2年8ヵ月ぶりにスペースシャトル打ち上げ再開,この年2回
1989平成元年スペースシャトル5回打ち上げ,金星探査機マゼランなどの放出など
1990平成2年スペースシャトル6回打ち上げ,ハッブル宇宙望遠鏡,太陽極軌道探査機,ユリシーズなどの放出など
1991平成3年スペースシャトル6回打ち上げ,生命科学実験,早期警戒衛星,高層大気衛星などの放出など
1992平成4年スペースシャトル8回打ち上げ,日本人宇宙飛行士毛利さん宇宙へ,生命科学,材料工学実験,衛星の回収と放出など
1993平成5年スペースシャトル7回打ち上げ,ハッブル宇宙望遠鏡の軌道上での修理に成功など
1994平成6年国際宇宙ステーション計画スタート
スペースシャトル7回打ち上げ,向井さん宇宙へ生命科学実験,国際宇宙ステーション建設に向けた実験など
日本,HIIロケット完成,打ち上げ成功
1995平成7年ロシアを中心に複数のモジュールをドッキングさせてミール完成
スペースシャトル7回打ち上げ,ロシアの宇宙ステーション・ミールとドッキング,ミールの交代要員のロシア人宇宙飛行士を運び,ミールの乗員と共に帰還,ほかにもスペースシャトル最長の16日15時間9分の宇宙滞在記録,国際宇宙ステーション建設の基礎実験など
1996平成8年スペースシャトル7回打ち上げ,若田さん宇宙へロボットアームの操作,ミールとしばしばドッキング,国際的な宇宙飛行士の交代勤務などを頻繁に行う,ハッブル宇宙望遠鏡2回目の改造修理
1997平成9年スペースシャトル8回打ち上げ,土井さん宇宙へ放出失敗衛星を手掴みに,
1998平成10年向井さん,スペースシャトルで再び宇宙へ,36年ぶり77歳のジョングレン上院議員も再び宇宙へ
国際宇宙ステーション,ロシア担当の基本モジュール打ち上げに成功続けてスペースシャトルが,国際宇宙ステーションの接続モジュールをロシアのモジュールに接続工事