■ 人名辞典【て】 | ページ 1 - 2 |
□ ディヴィーニ Divini, Eustachio (1610−1685)
イタリアの光学器械製作者.ディヴィーニは光学器械の科学的設計とその製造技術を確立した1人.1646年ローマで時計とレンズの製造を始め,1648年には顕微鏡に新設計を取り入れ,数年後2枚あわせのレンズを用いるように改良.同じ頃,焦点距離の長い対物レンズを用いた望遠鏡を試作.また本人も月面図の製作や土星環,太陽黒点,木星などの観測を残している. 参考文献
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□ ティエレ Thiele, Thorvald Nicolai (1838−1910)
ティールとも言われる.デンマークの天文学者.コペンハーゲン大学在学中に“日食経路の幾何学”で金メダルを受け,1866年に“二重星おとめ座γ星の軌道決定”で博士号を得,1875年から同大学教授兼天文台長.主として観測値の処理の研究を行い,ティエレ・イネス法として知られる軌道決定法の開発,三体問題におけるティエレ変換の開発の成果を上げる.観測値の系統誤差,偶然誤差の研究も行う.また数値計算によって特定元素のスペクトル線の分布法則を見いだそうと努めた.一方保険数学にも手を出し,天文台長の任にあるかたわら,保険会社のマネージャーも務める.目の病のため観測はできなかったが,天体写真には早くから取り組んだ. 参考文献
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□ ディクソン Dixon, Jeremish (1733−1779)
イギリスの天文学者.バーナード・カスルのジョン・キプリングの学校で学ぶうちに数学と天文学に興味をおぼえ,チャールズ・メイソンの助手として1761年6月6日のスマトラ島での金星の太陽面通過の観測に赴くが,フランスの軍艦の妨害にあって喜望峰で観測,成功を収める.また依頼を受けアメリカのペンシルヴァニア州とメリーランド州の境界線の確定を行う.その後イギリス王立学会から派遣されて1769年のハンメルフェストでの金星の太陽面通過観測にも遠征. 参考文献
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□ ディッグス Digges, Thomas (1546?−1595)
イギリスの数学者,天文学者.1576年,父親の「予兆」に「天体軌道の完全な記述」を加えて出版した.また1572年カシオペヤ座の超新星に関してティコ・ブラーエに次ぐ正確な記録を残して翌年出版.1572年国会議員となり,その後公職に活動,またドーヴァー港の改良などの仕事に力を尽くした. 参考文献
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□ イブン・ティボン Ibn Tibbon, Jacob Ben Machir (1236頃−1305)
ユダヤの天文学者,アラビアの書をヘブライ語に翻訳する.多くの天文書を翻訳し,ギリシャからイスラムに伝えられた天文学をヨーロッパに紹介し,自身も恒星の移動についての計算法や暦などを著す. 参考文献
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□ ディラック Dirac, Paul Adrien Maurice (1902−1984)
イギリスの理論物理学者で,量子力学と量子電磁力学の確立に貢献.ノーベル物理学賞受賞者.1926年,ケンブリッジ大学で博士号を取得.1932年より同大学のルーカス教授に就任.1928年ディラック方程式を発見し,スピンの存在についての理論的説明を与え,反粒子の理論の基礎付けを与えた.1930年,陽電子の存在を予言,また1933年に“新しい形式の原子理論の発見”でシュレーディンガーと共にノーベル物理学賞を受賞.1937年頃“大数の仮説”を提唱,重力定数の値が宇宙の構造によって規定され時間とともに変化すると論じた. 参考文献
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□ テオドシオス Theodosius (BC2世紀後半)
ギリシャの天文学者.「球面幾何学」「日中と夜について」「居住地について」が有名.「球面幾何学」は天文学に必要な球面を扱い,「日中と夜について」は毎日の太陽の黄道上を移動する運動を扱い,「居住地について」は,地球の自転によって起こる現象,特にいろいろな居住地に見える空の区域を説明.また,どの居住地でも使える日時計を考案したといわれる. 参考文献
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□ テオン(アレクサンドリアの) ![]()
ギリシャの天文学者で数学者.アレクサンドリアの図書館に勤める.364年6月16日の日食と同年11月26日の月食についての報告を行っている.ユークリッドの「原論」を編纂し,「アルマゲスト」の解説書及び,プトレマイオスの「簡易表」の解説書を作る.また,分至点が黄道上を往復する現象の計算法も示す.ほか,「アストロラーベの使い方」「犬星の出について」などを著す. 参考文献
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□ テオン(スミュルナの) ![]()
数学者らしいが,哲学者としても知られる.地球は球状であり,山は地球に比べて小さく,宇宙の中心は地球であることを述べた.惑星運動の順行,留,逆行を説明し,離心円運動,周天円仮説を主張した.水星と金星の太陽からの最大離角をそれぞれ20度,50度としている.また,合,惑星の太陽面通過,星食,食,黄道の中心と極を通る軸などにも言及. 参考文献
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□ デカルト ![]()
フランスの哲学者,数学者,自然科学者.近代哲学の父と呼ばれる.1616年ポアティエ大学法学部を卒業,見習士官としてオランダ・ドイツに転戦.一時除隊してヨーロッパ各地に遊学,1627年再び軍隊勤務の後オランダに移住,20年後さらにスウェーデンに渡る.哲学にも数学と同様な確実に証明できる原理があるべきだと考え,いっさいの先入観を除いて思考を進める方法を採った.その結果,自己の存在は疑う余地がないとの結論に達し,“われ思う,ゆえにわれあり”という確信を得,そこから神の存在を証明した.さらにその方向を推進し,思考をその属性とする精神と,延長をその属性とする物体とを互いに共通性のない実体であるという,物心二元論を展開した.「宇宙論」を執筆したが,ガリレイが断罪されたことを聞いて出版を断念したという. 参考文献
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□ デ・シッテル De Sitter, Willem (1872−1934)
オランダの天文学者で,位置天文学・天体力学の権威.フロニンゲン天文台でカプタインの助手となり,さらに南アフリカのケープ天文台員を経て1899年オランダのライデン天文台員,さらにライデン大学教授を兼ね,1918年台長.地球の扁平率,水星・木星の質量の算出,木星の衛星の観測とその運動理論に業績を上げる.位置天文学,天体力学の研究から,1917年にアインシュタインの一般相対論を宇宙論に応用した“デ・シッテル宇宙”の解に至る.時空を単片双極空間で置き換え,物質を全く含まない場合の理論的宇宙を考え,そこに物質をおいた場合の斥力から膨張宇宙論を着想. 参考文献
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