■ 人名辞典【と】 ページ  - -

戸板保祐 (1708-1784)

江戸時代中期の仙台藩の天文暦学者.1753年,藩命により改暦準備のため山路主任と共に京都で天文観測を行った.1729年から仙台で行われた日食観測10回,月食観測25回の観測は「仙台実測誌」に残されている.仙台市天文台には保祐の指導の基に造られた渾天儀が残っている.

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ドゥーガン Dugan, Raymond Smith (1878−1940)

アメリカの天文学者.食変光星の研究家.1899年アマスト大学卒業後,ベイルートのシリア・プロテスタント大学で数学と天文学を教え,1902年以降ハイデルベルク大学に移る.またプレアデス星団の研究で博士号を得た.1905年リック天文台のアラゴン皆既日食観測隊に参加し,帰米してプリンストン大学の天文学講師,1920年同大教授.プリンストンでは比較的少数の食変光星の精密測定を行い,主星と伴星の相対的な大きさ,相互距離,両星の光度,相互の引力による潮汐力の働き方などを研究したほか,いわゆる反照効果を発見した.1935年から国際天文学連合の変光星委員会の委員長.1927〜36年アメリカ天文学会の書記,1936年から同会長.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


アッ=トゥーシー al-Tu~si, Nasi~r al-di~n Muhammad ibn Muhanmad ibn Al-Hasan (1201−1274)

ペルシャの数学者で天文学者.ナーシルッ=ディーン(Nasir Al-Din)とも呼ばれる.天文学をイブン・ユーヌスから学ぶ.1256年侵入してきた蒙古軍に捕らえられるが,大臣に登用.1259年マラーガに天文台を建て,1272年頃天文表を作成(「イルハーン表」).天文学者がこの天文台に集まったため天文学の世界的中心となったが,彼の死後この天文台の地位は落ちてしまった.アラビアの三角法を完成させ,「ユークリッド幾何学要論」を著す.哲学書,医学,物理,鉱物に関する著作もある.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ドゥネル Duner, Nils Christofer (1839−1914)

スウェーデンの天文学者.ルンド大学で天文学を学び,1862博士号を取得,1864〜88年ルンド天文台主任観測員を務め,1888年ウプサラ大学の天文学教授兼天文台長.ドゥネルの学位論文は小惑星パノペアの軌道決定に関するものであり,やがてスウェーデンに新天文台が建設されると,位置天文学の発展が促され,自らも二重星の観測,赤色星の分光研究で知られ,後者についてはドゥネルは100個以上を発見した.また,太陽自転の分光学的研究も行った.ウプサラに転じてからも太陽自転と赤色星の研究を続行,食変光星はくちょう座Y星の研究でも知られる.1887年にはパリで開催された国際写真製図作成計画会議に参加,1900〜01年には太陽視差を小惑星エロスの写真観測から求めている.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ドシテオス Dositheos (BC2世紀)

アレクサンドリアの数学者,天文学者.コノンの友人または弟子で,コノンの死後ソクラテスと数学上の議論を行う.暦学の研究を行い,当時の天文学者プトレマイオスやゲミノスの著作中に言及がある.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ドーズ Dawes, Rev. William R. (1799−1868)

イギリスの非国教会派の牧師であったが天文学に造詣が深く,当時の惑星面観測の第一人者.特に土星面の観測に関しては先駆的業績を上げ,1855年王立天文学会の金メダルを贈られた.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


トスカネッリ Toscanelli, dal Pozzo Paolo (1397−1482)

イタリアのフィレンツェの医師.地図製作者で彗星観測家.はじめフィレンツェ大学に入り,のちにパドヴァ大学に転じた.占星術師としても有名だが,1433年から1472年までの間に肉眼で5個の彗星をスケッチしている.そのスケッチの正確さは,軌道計算に利用できるほどだと言われている.彼の作った地図は当時としては最も正確なものとされたが,アジアが極端に近くに描かれていた.コロンブスは,この地図を見てアジアへの航行を決意したという.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


トッド Todd, David P. (1855−1939)

アメリカの天文学者.1875年アマースト大学卒,1878年同修士,1888年ワシントン大学より学位.1878年アメリカ編暦局助手,1881年アマースト大学教授兼付属天文台長,1920年名誉教授.金星の太陽面通過,火星表面観測,皆既日食の観測隊に参加すること10回を重ねる.1886〜1887年にはスミス大学,1903〜05年にはアマースト大学のために天文台を設計建設.1925年飛行機から初めて太陽コロナを撮影,日食を撮影する自動カメラを考案.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ドップラー Doppler, Johan Christian (1803−1853)

オーストリアの物理学者,数学者,天文学者.数学の才を見いだされ,ウィーンの高等工業学校に学び,のち帰郷して普通高校を卒業.1833年ウィーンで数学の助手をしている間数学と電気学の論文を発表し注目される.1835年プラハ国立高校の数学教授員の職を得,1841年国立アカデミー教授.この時期に音波と光について観測者と振動源の相対運動によって振動数が変化すること(いわゆる“ドップラー効果”)を見いだし,1842年に発表した.その後いくつかの教職を経て1850年ウィーン王立大学の実験物理学教授.ドップラー効果は発表当時はあまり注目されなかったが,のちに星の視線速度の測定,連星の軌道運動,脈動変光星などの大気の運動,銀河の回転の測定などに用いられ天文学の進歩に大いに寄与した.ドップラーはこのほか収差,色彩論などの研究,望遠鏡,光学測距儀の改良などにも力を尽くした.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


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