■ 人名辞典【と】 ページ  - -

ドランブル Delembre, Jean-Baptist Joseph (1749−1822)

フランスの天文学者.パリに出て古典文学と歴史を学び,翻訳や家庭教師で学費を得ながら数学を学ぶ.30歳を過ぎて天文学に転じたが,1771年富豪の息子を教えていたとき,この富豪の厚意で小天文台を建ててもらう.1786年の水星太陽面通過を観測,またパリ科学アカデミーが提供した天王星の軌道決定に入賞し,天王星を始め木星土星の運動を研究した.1795年パリの経度局でP.F.メシエとともにダンケルクとバルセロナ間の経緯度測定を行い,1807年フランス学院の天文学教授.フラムスティード以後の恒星目録を改良した球面天文学者,科学史・天文学史家としても知られる.

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参考文献

中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ドルノ Dorno, Carl W. M. (1865−1942)

ドイツの生理気候学者.プロイセンのケーニヒスベルク(現在のロシア連邦カリーニングラード)で生まれ,31歳の時ケーニヒスベルク大学に入学して化学,経済学,法学などを学び1604年化学専攻で博士号を得る.娘の結核のためアルプスの保養地ダボスに移転,気象と健康の関係に関心を持ち,保養地として適した気象条件を追求.そのため私財を投じて私立生理気象観測所を設立して太陽の放射量を正確に測定するなどした結果,標高の高い土地での太陽放射量が年間を通じてほぼ一定であり,これが高原の空気の保健的効果をもたらすことなどを見いだした.また水蒸気は放射を吸収し,特に紫外域でそれが強いことも知った.第一次大戦で財産を失ったが,スイス政府が観測所の運営費を肩代わりして研究を続けることができた.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ドレーパー Draper, Henry (1837−1882)

アメリカの天文学者.天体写真と天体分光学の開拓者.医学を志し,若くしてその課程を終えたが,卒業年限に達していなかったのでイギリスに遊学.アイルランドのロス卿の天文台で写真術を天文学に応用することを示唆され,帰国後医師免許を取得し病院勤務のかたわら私設天文台で太陽と月を湿板写真により撮影した.1872年ニューヨーク市立大学教授に任命され,教育のかたわら天体写真の発達に務める.1872年恒星のスペクトル撮影に成功,以後1万個以上の恒星の分光写真を撮影・分類する.これを彼の死後にキャノンピッカリングが整理・拡充したものが,ヘンリー・ドレーパー(HD)カタログとして恒星の基本的なカタログの1つになっている.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


トロートン Troughton, Edward (1753−1836)

 イギリスの著名な光学機械製作者で,ラムスデンと競い合う.1779年兄と共同で事業に携わり,兄の死去の後会社を経営.1826年シムスと共同でトロートン・アンド・シムス社を設立し,1831年に引退.当時器械に装飾をほどこす風習があったがトロートンはこれを排して機能と精度を重視して多数のすぐれた器械を送り出した.望遠鏡の目盛環の改良で王立天文学会からコプリー・メダルを贈られる.王立天文学会創立者の一人.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ドローネー Delaunay, Charles-Eugene (1816−1872)

フランスの天文学者,天体力学者で太陰運動論,潮汐論の大家.パリのポリテクニクに学び最優秀の成績で卒業.その賞品であったラプラス全集から天体力学に関心を持つ.1853年ポリテクニク力学教授,のちパリ大学の数学,力学,天文学教授.1842年天王星の摂動の研究,1844年潮汐論の研究を発表,1846年に今日ドローネー法といわれる潮汐論を発表,のち改良を受ける.「太陰運動論」も広く知られる.1870年にルヴェリエの後任としてパリ天文台長となって,普仏戦争とパリ・コミューンの際天文台を守るために尽力.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


トローヴェロー Trouvelot, Etienne Leopold (1827−1895)

フランスの自然史及び天文学者.1857年アメリカに渡り,ボストンの自然学会員で動物学の論文を多数書いているが,のち天文学に転じ,1872年からハーヴァード大学天文台で太陽黒点の観測を行い,1000枚以上のスケッチを残した.また彼の天体スケッチは,乾板による写真が出現するまでは最も正確なものと言われた.

1882年フランスに戻るとムードン天文台に入って主として太陽プロミネンスの観測に従事し,1883年に日食観測のため太平洋のカロリン諸島に出かけるなどし,太陽金星についての50篇に及ぶ論文を発表.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


ドロンド Dollond, John (1706−1761)

イギリスの光学業者,色消しレンズを発明.

ロンドンで生まれる.絹織物製造を生業とするが,長男が光学器械製造を行うようになってこちらに転ずる.クラウン・グラスとフリント・グラスの波長に対する屈折率の大小が逆であることに気づき,これを利用して色収差を減らしたレンズ,いわゆる“色消しレンズ”の製造に成功し,ヘリオメーターの製造にも成功する.ジョージ3世の眼鏡師に任命された.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


トンボー Tombaugh, Clyde William (1906−1997)

アメリカの天文学者.大学には行けなかったが,自作の望遠鏡で観測を行う.1929年ローウェル天文台に入り,1930年冥王星を発見する.この功績でカンザス大学に入学卒業,ローウェル天文台に戻る.ロケット追跡装置の設計に携わるとともに,地球と月の間に岩石や破片のないことを確認して人工衛星航行の安全を保証.のちニューメキシコ州立大学天文学教授,1977年退任.著書に「闇の彼方・冥王星」.

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中山茂編「天文学人名辞典」恒星社


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